致命的な呼吸困難、ダルメシアンの急性呼吸窮迫症候群(ARDS)の遺伝要因

文:尾形聡子

[photo by Maja Dumat]

急性呼吸窮迫症候群(Acute Respira-tory Distress Syndrome:ARDS)とは肺炎や外傷などさまざまな原因により、急性に重度の呼吸困難を起こす死亡率の高い病気です。数年前、歌舞伎役者の中村勘三郎さんがARDSにより逝去されたことから、この病名を目にされた方もいるのではないかと思います。

ARDSは人だけでなく多くの生物種で自然発症することが報告されていますが、犬も例外ではなく、20年ほど前にすでに、若齢のダルメシアンでは家族性のARDS発症が見られることがフィンランドのヘルシンキ大学の研究により報告されていました。同大学ではその後も研究を続け、このたび遂にダルメシアンの子犬や若犬に発症するARDSの原因となる遺伝子変異を明らかにしました。

ダルメシアンでのARDSとは?

ダルメシアンのARDSは遺伝性の肺組織疾患です。主な症状は重篤な呼吸困難で、病理学的には肺障害が多く見られます。生まれたばかりの子犬や若い犬に起こるARDSは劣性遺伝するだろうことが20年前の研究から示唆されており、人での間質性肺炎(肺胞と毛細血管を取り囲む間質と呼ばれる組織に生じる病態)が急激に悪化する症状と似ていることが分かっていました。

そこで研究者らはARDSにかかった7頭を含む88頭のダルメシアン、31頭のポインターについてゲノム解析を行ったところ、ANLN(Anillin)遺伝子にナンセンス変異が起こっていることを突き止めました。さらに常染色体劣性遺伝をすることも確認され、キャリアは1.7%と見積もられました。

ANLN遺伝子は、生物の細胞骨格を形成するのに重要な微小繊維であるアクチンというタンパク質に結合するタンパク質をコードし、細胞膜形成や細胞分裂、細胞結合を制御するといった働きをすることが知られています。そのため、ANLN遺伝子に異常があると、細気管支(肺胞につながる気管の末端)の上皮細胞が異常になって肺胞が空気をため込んでしまい、それがARDS発症の発症素因になると考えられています。

また、ARDSを発症した個体の中には腎臓が片方しかなかったり、水頭症を伴うケースもあったことから、ANLN遺伝子は肺に限らずほかの器官においても、正常な上皮細胞の発達維持に重要であることが示唆されるとのことです。

ナンセンス変異とは?

遺伝子の突然変異には変異の仕方によりいくつかのパターンに分けられていますが、そのうちのひとつがナンセンス変異と呼ばれる変異です。ナンセンス変異は、転写の終わりの目印となる終始コドンの位置がずれてしまうため、本来の長さのタンパク質よりも短いものしか作れなくなる状態になっています。変異により作られるタンパク質が短くなればなるほど、本来果たすべき働きを正常に行うことができなくなっていくため、ナンセンス変異は生体へ及ぼす影響が大きい変異としても知られています。

ARDSは劣性遺伝します。仮にキャリアの場合には、両親それぞれから受け継いだANLN遺伝子の片方は変異型であっても、もう片方は正常です。そのため、変異の起こっていない遺伝子からは正常な働きをするANLNタンパク質が作られるため病気を発症することはありません。

もう少し詳しくいいますと、どのような遺伝形式にもかかわらず、遺伝子が変異すると本来の働きとは別の機能を持ってしまう場合もあれば、それまでの機能を喪失してしまうだけの場合もあります。ARDSのキャリアに関しては、変異している遺伝子から異常な短さのANLNタンパク質が作られていても、それが体に悪影響を及ぼすような働きをしているわけではなく、もう一方の遺伝子が正常なタンパク質を作れるならば病気を発症しないという状態である、とも考えられるのです。

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遺伝子検査を行い、広まる前に病気の根絶へ

人のARDS発症に関わる遺伝的な要因はいまだ分かっていないことから、今回のこのダルメシアンでのANLN遺伝子変異の発見が、ARDSの発症メカニズムの解明へとつながることが期待されています。また、重篤な呼吸困難に陥るARDSは現時点で有効な治療方法がなく、犬では致命的な病気のひとつとされており、安楽死を選択せざるを得ないこともしばしばです。

今回の研究からキャリアの割合は1.7%と、PRA(進行性網膜萎縮症)などの遺伝病と比べればそれほど高くはないことが示されました。そのことから、この遺伝子変異が犬種内に広まる前に遺伝子検査を取り入れた繁殖を行うことで、遺伝的多様性を大きく失うことなく病気を撲滅することが可能であると考えられます。

ARDSの遺伝子検査は日本ではまだ扱われていないようですが、MY DOG DNAにて受けられるようになるそうです。MY DOG DNAは犬の遺伝子パネル検査を開発したことでも知られるフィンランドのGenoscoper Laboratoriesという会社が運営する遺伝子検査機関です。

参考までに、英語になりますが、MY DOG DNAのサイトでは、“BREED”のところで犬種を打ち込むと、その犬種で見られる遺伝病や遺伝形式、有病率、身体の特徴と遺伝、遺伝的多様性、他の犬種との遺伝的な関係などが見られるようになっています。とても見やすくまとめられているので、たとえ英語があまり分からなくても、気になる犬種を見てみるだけでもそれなりに興味深いと感じられるのではないかと思います。

犬の遺伝病は他人事と片づけてしまうのではなく、身近なところにたくさん存在しているのだという意識を一般の飼い主の方々が持つようになっていくことも、健康な犬が増えていくための大きな原動力になると思っています。

【参考文献】
ANLN truncation causes a familial fatal acute respiratory distress syndrome in Dalmatian dogs. PLoS Genet. 2017 Feb 21;13(2):e1006625.