ドッグトレーナーが抱く職業的ストレス、見過ごされているかもしれません

文:尾形聡子


[photo by Matthew]

変化するドッグトレーナーの役割と社会的背景

現在広く使われている「ドッグトレーナー」という言葉は、昭和の時代には「訓練士」と呼ばれることが主流だったと思います。警察犬や探知犬などの訓練をする人、あるいは一緒に狩猟に出るために特別な訓練を施すというように、ある特定の目的のために犬をトレーニングする特殊な技能を持つ職業だという認識が一般的でした。またその頃は、体罰を用いたり強制的になにかをさせるなどの「嫌悪刺激」を使ったトレーニング方法が広く用いられていました。

時代が進む中でバブル期の大型犬ブームが訪れました。大型犬を迎えたはいいものの扱いに困る飼い主が増え、「家庭犬にも(あるいは大型犬には)トレーニングが必要」という認識が一部の飼い主の間で広まるきっかけとなりました。そのような需要に応える形で、一般の家庭犬に対してトレーニングを行う、いわゆる現在の形の「ドッグトレーナー」が増えていきました。

また、犬のトレーニング手法も変化し、体罰などの嫌悪刺激を使う訓練から、正の強化(ポジティブ・レインフォースメント)を中心とした手法が世界的に広まりました。それにより、「訓練」という言葉に抵抗を持っていた飼い主にとっても、現在の「ドッグトレーニング」は受け入れやすいものになっていったのではないかと思います。

社会全体として動物福祉に対する意識が高まったことや、科学的な根拠に基づいた動物行動学研究の進展があり、「犬のしつけで犬に不要なストレスや恐怖を与えることは避けるべきだ」と推奨されるようになってきたのも大きな要因となったことでしょう。

さらに近年の都市化や核家族化の進行もあり、犬は家族の一員としての存在感を強めています。かつての番犬や作業犬といった役割ではなく、精神的なつながりを重視した関係性を築く存在として捉えられるようになってきています。それに伴い、飼い主の犬に対する期待やニーズも多様化してきました。

飼い主との関係性と新たに求められるスキル

飼い主のニーズの多様化への対応はドッグトレーナーにとって大きな課題です。

大型犬ブームの時代は、大型であるがゆえに力だけで制御することが困難だったため、引っ張りや飛びつきといった問題行動を改善してほしいという要望が多かったように思います。しかし現在は、「家族の一員である犬とのコミュニケーションをより深めたい」「犬の精神的な健康を高めたい」というような、精神的な部分での要求が増えてきています。これによりドッグトレーナーは、単に犬の問題行動を正していくだけでなく、飼い主の感情や行動パターンを理解したうえでの介入や、心理的なサポートまで求められるようになりました。

つまり、ドッグトレーナーは「犬の専門家」であると同時に、「飼い主にも寄り添える存在」であることが求められ、「家族システム*」なども考慮に入れながら、総合的に犬にも人にも適切なトレーニングやケアを提供する、「カウンセラー的な存在」としての役割も担うことが期待されているということです(ただし、飼い主側がそのような認識を持っているかどうかは、また別の問題かもしれません)。

*「家族システム」について詳しくは、以下、臨床心理士の北條美紀さんの記事をご覧ください。

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ドッグトレーナーにおける燃え尽き症候群と共感疲労

このように、時代の変遷とともにドッグトレーナー、特に家庭犬のトレーナーは、犬に対する特殊技能だけでなく、それ以外の領域でも高い専門性が求められるようになり、仕事の幅は格段に広がっています。

そのため、医療や介護、心理支援、獣医療、警察、消防といった支援職と同様に、「燃え尽き症候群(バーンアウト)」や「共感疲労(compassion fatigue)」のリスクが潜在的に存在していると考えられます。

燃え尽き症候群とは、長期的かつ慢性的なストレスにさらされることで感情的な消耗や仕事への無力感、職務に対する冷淡さが生じる状態です。一方、共感疲労は、他者の苦しみやトラウマを共感的に受け止め続けることで、本人が二次的なトラウマ反応を起こす心理的現象です。

これらは個人の健康を損なうだけでなく、業務の質の低下や離職率の増加にもつながり、社会的にも損失を生むことがわかっています。

一方で、「共感満足(compassion satisfaction)」という概念もあり、これは他者を支援することにより得られる達成感ややりがい、職業的満足感を指します。共感疲労と表裏一体の関係にあり、共感満足が高いことは、燃え尽き症候群に陥るリスクを軽減し、職業生活の質を向上させる要素と考えられています。


[photo by Milan]

家庭犬トレーナー86名を対象にした研究

このような背景を受け、アメリカのウェルデン大学の心理学者たちは、家庭犬のドッグトレーナーを対象に、職業経験やクライアント犬の攻撃性などが燃え尽き症候群・共感疲労・共感満足にどのように影響するかを調査しました。

研究では、ポジティブ・レインフォースメントの手法を用いる家庭犬トレーナー86名を対象にオンライン調査を実施し、「ProQOL5(Professional Quality of Life Scale Version 5)」という自己申告式評価尺度を使用しました。また、トレーナーとしての経験年数や、扱う犬の攻撃性の割合についても尋ねられました。

分析の結果、以下のことが示されました。

  • 経験年数や犬の攻撃性の程度は、燃え尽き症候群と有意な関連を示さなかった
  • 共感疲労が燃え尽きとの関係を調整する要因にはならなかった
  • 燃え尽き症候群と二次的トラウマストレスのレベルは、獣医師や医療従事者と同程度
  • 一方で、共感満足は相対的に高く、仕事への満足度や意義を感じているトレーナーが多いことが明らかになった

研究者はこれらの結果から、燃え尽き症候群は経験年数や犬の攻撃性の高さによるものではなく、むしろ職場環境、個人の対処スキル、支援体制といった外的・内的資源の質に影響を受けると考察しています。

フリーランスが多く、孤独な働き方になりやすいドッグトレーナーにとって、同業者や専門家とのつながり、メンタリング、精神的なサポート体制が燃え尽き症候群の予防に重要であると結論していました。


[photo by The Len]

持続可能な専門職になるように

燃え尽き症候群や共感疲労、そして共感満足という概念に対する研究は、これまで主に獣医師や動物看護師を対象としており、ドッグトレーナーに焦点を当てたものは今回が初めての研究です。しかし、ドッグトレーナーだけでなく、トリマーのような犬関係の他職種にもある程度当てはまるのではないかと思います。

トリマーの方々も犬の感情や体調、飼い主の気持ちに配慮する場面が多く、感情的負担は決して小さくないでしょう。一方で、問題が解決したり、飼い主から感謝されたり、犬が嬉しそうな様子を見せるといったポジティブな経験が共感満足を高め、仕事への意欲につながっている可能性もあるはずです。

冒頭に述べたように、ドッグトレーナーに求められるものは時代とともに大きく変化してきました。犬の行動を矯正するだけでなく、飼い主の教育・サポート、コミュニケーション能力といった幅広いスキルが求められるようになっています。ドッグトレーナーの仕事を支援する社会が実現するには時間がかかるかもしれませんが、まずは、ドッグトレーナーと関係を持つ犬の飼い主がそのような視点を持つことが大切ではないかと思います。

高い能力を持ちながらも、燃え尽き症候群や共感疲労により現場を離れてしまうトレーナーがなるべく少なくなり、持続可能で健全なドッグトレーニングの現場が築かれることを願っています。

【参考文献】

Behind the Leash: Burnout, Compassion Fatigue, and Occupational Strain in Dog Trainers. Behavioral Science. 2025, 15(6), 798

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