爺さんカーリーコーテッド・レトリーバー、ラッコ

文と写真:藤田りか子

ついこの間、5月20日にラッコはいよいよ12.5歳になった。カーリーコーテッド・レトリーバーの寿命は平均して10〜12歳ぐらいということなのだが、ここまで長生きしてくれるとは正直思わなかった。ラッコの同胎兄弟3頭はがんに罹ってしまったりで3〜4年前ぐらいまでにはみな亡くなっていた。ラッコも同じような体質を持っているに違いないと、10歳超えは正直ハラハラであった。おまけに5年前の7歳の時には胃捻転も経験している。だが、なんとかそれもサバイバルした。唯一兄弟での生き残り。ラッコの逞しさに感謝である。

…なんて思っていたら、ついこの間、突然彼の容態が悪くなった。うんちをしづらそうだったので、ひょっとしてまた便秘になってしまったのか、と軽く考えていた。これまでも便秘でちょっと苦しんでは翌日よくなっていたので、1日待とうと思っていたのだが…!

昼過ぎからどんどん元気がなくなり、とうとう床に横たわったまま立てなくなってしまった。スウェーデンでは、獣医クリニックは完全予約制なのだが、救急となれば、空きがあれば特別に診てもらえる(もちろん「救急料金」はついてくる)。幸運なことになんとか診てもらえる枠を確保。急いで彼を車に載せて動物病院へと向かった。


ラッコは苦しそうに横たわったまま…

血液検査、レントゲン、エコーとありとあらゆる検査を施し、その診断結果 ──

「肺炎です」

と獣医師。体温は39.8度。かなり高い。血液検査で赤沈(せきちん)値が100を超えていた(赤沈とは赤血球沈降速度数値。この値が高いと炎症が強まっている可能性がある。病気の活動性の目安ともなる)。健康な犬なら10以下が普通なので、恐ろしいほどに高い。

すぐに入院が決まった。

ただしラッコは抗生剤にしっかり反応してくれた。翌日の夕方にはすでに家に戻れるほどにまで体調は回復。そして数日後に動物病院にいって赤沈値を測ってもらったら、17にまで落ちていた。なんと!しかしまだ10には戻っていないので、油断は禁物だ。

というわけで、今も彼は抗生剤を飲み続けている。そしてBARFでの食事は一旦おやすみ。病院ですすめられたサイエンスなんとかというドライフードを食べさせている。下痢もせず確かにうんちはしっかりでるものの、その量の多いこと!(BARFでのうんち量にすっかり慣れていたためこの驚きは隠せない。やっぱりドライフードは嫌である)

さて、ラッコが入院していた24時間という短い間に、実は「ひょっとして…」をずっと考えていた。もしかしてよくならなかったら、安楽死をすすめられるだろうな、と覚悟を決めていた。こんな時に限ってパートナーのカッレは4日間の出張をしていた。もし最悪の状態になったとしても、彼が帰るまで獣医師は待たせてくれないだろうな、とも思った。そしてカッレ自身も電話口で

「そのときは僕の帰りを待つ必要はない。ラッコが苦しまない方が大事だから」

と言ってくれた。その話を日本の友人たちにしたら誰もが

「え!」

と絶句した。せめてカッレが帰るまで待つべきだよ、と誰もが口を揃えたように言った。私もカッレの言葉を聞くまでは、なんとかカッレに会わせてから、とも思った。しかし冷静に考えてみれば、肺炎で呼吸が苦しくなっているはずだから、それを無理やり生きながらえさせておくのは、人のエゴではないかと思い直した。犬にとって大切なのは、少しでも早く苦しみから逃れることだ。犬は未来に生きない。「今、ここ!」の動物である。人との大きな違いだ。

こんなネガティブなことを悶々と考えていたものの、ラッコ強し!ちゃんとうちに帰ることができた。5年前、胃捻転でもうだめかも!を覆したラッコのサバイバル力は今も健在だ。そして出張から帰ってきたカッレを尾をふりながら迎えたのだ。留守中病気したとは思えないぐらい元気な顔を見せた。

もう一つラッコが入院中に考えたこと。それは、最近パピーを迎えてラブラドールが2頭から3頭に増えたものの、決してそれがラッコの代わりになるものではないということだ。もちろん「そんなの当たり前でしょ!」と思われるだろうし、自分でもわかっていた。だが、ラッコの不在がどんなに辛いものであるか心底思い知った。今回は運良く免れたものの、いつかは現実のものとなる。一頭増えたことがなんの代替にもならないことを今のうちに知ることができたのがせめてもの救いだ。

ラッコは精神的にも物理的にも何かと場所を取る犬だ。精神的にはいつも自分を押し通すから。そして物理的な面では、単に彼はでかい犬だから。体重は38kgある。 我が家の犬たちは私とカッレが寝ているダブルベッドで皆いっしょに寝る。ラッコは遠慮せずそのベッドの中央に陣取って寝る。そのためにラブラドールたちそして人間二人はほとんどベッドから落ちそうなぐらい隅っこに押しやられる。私とカッレはいつも不平を並べていたものだが、いざ入院で不在になると、ベッドが寂しく感じられ悲しみが込み上げてくる。もちろんこれまでにラッコを友人に預け、我が家にて不在のときはあった。そんな時

「ラッコがいなくて、楽!」

などと感じていたものだが…。


この通りラッコはダブルベッドのほとんどの場所を占拠してしまうのであった。

退院し、ラッコがまたベッドの真ん中を堂々と占領する日々が戻ってきた。そして3頭のラブラドールがベッドの端っこにそれぞれ体を丸めて寝ている。ああ、4頭全員揃っていることの幸せ感。病気をして初めて気づく、当たり前の毎日がどれほど愛おしいものだったかということ。まぁ、自分が病気から回復したときもそうなのだが、残念ながら人はしばらくするとその幸せ感をすぐに忘れてしまうのだ。そしてまた日常の奔流に呑まれ、取るに足らないことに腹を立てたり、悩んだり、そんなことを繰り返す。

ラッコは「認知症なんてやっているヒマがない」と言わんばかり、頭は今もシャキッとしている。若い時からガンドッグやノーズワークを始めいろんなことを学習して、メンタルの刺激を受けてきたからだと思う。彼の心臓がしっかりと鼓動を打つ限り、そして四本の脚で地面を踏みしめられる限り、どうか思いきり、彼らしい犬生の残り時間を生ききってほしいと思うのだ。