獣医療に光〜AIアルゴリズムによる犬の心雑音検出に成功

文:尾形聡子


[photo by Andrii Lysenko]

以前、「獣医療にもAIを〜短頭種のBOASの客観的診断に向けて」にて、デジタル聴診器を使って収集したデータを機械学習アルゴリズムを使用してAI診断する研究を紹介しましたが、人の医療現場のみならず獣医療領域においてもAI技術の活用に向けた研究が行われるようになってきています。科学的なエビデンスに基づいて作られる診断基準に沿った診療をするためにAIの力を役立てていくことは、これからの獣医療に大きなメリットをもたらしてくれるかもしれません。

小型犬に多くみられる僧帽弁閉鎖不全症(粘液腫様僧帽弁疾患;MMVD)、肺動脈弁狭窄症や大動脈弁狭窄症などの僧帽弁疾患は、心雑音の強度と重症度とが相関することが知られています。特に僧帽弁閉鎖不全症は小型犬や高齢犬では30頭に1頭が罹患すると言われています。重症度を正確に診断するには心エコーが必要で、かつ、臨床的な専門知識が必要とされる病気です。しかし、心エコーをしたり心臓の専門性の高い動物病院にかかることは飼い主にとって費用も時間もかかることです。さらに、聴診器による心雑音の強さの診断はあくまでも主観になるため、一次診療の獣医師によってはばらつきが生じてしまいます。

そこで英国ケンブリッジ大学の研究チームは、デジタル聴診器を使って心臓の音を記録し、そのデータを機械学習アルゴリズムを使用してAIにより自動で重症度レベルを診断することで獣医師間のばらつきを最小限に抑えられれば、聴診スキルの格差を抑えて早期発見につながり、かつ、飼い主の負担も減るのではないかと考えます。人の医療において心音を分析するためのアルゴリズム研究が数多く行われているため、人用のアルゴリズムを犬用に改変し、デジタル聴診器のデータから心雑音のレベル評価ができるか、そして僧帽弁閉鎖不全症のグレードを診断できるかについて研究を進めました。


[Image by Volker Glätsch from Pixabay} 心臓病といえばキャバリアというくらい、キャバリアの心臓病発症率は高い。

心雑音を正しくグレーディングできるか?

研究者らは英国の4つの動物専門病院に定期的に通院している犬756頭に対して、循環器専門獣医師による身体検査と心エコー検査を実施し、Levineの分類を元にした心雑音のレベル(今回は心雑音なしを含めて5段階評価)と心疾患の診断を行いました。その結果、407頭が僧帽弁閉鎖不全症であり、215頭がその他の心疾患(肺動脈弁狭窄症、動脈管開存症、大動脈弁狭窄症、拡張型心筋症など)、134頭が正常な心臓と診断されました。正常な心臓で体重が15kg未満の犬62頭については僧帽弁閉鎖不全症のステージA*(発症リスクあり)に分類されました。最も多かった罹患犬種はキャバリア・キング・チャールズ・スパニエル(88頭)、ついでチワワ(55頭)、ラブラドール・レトリーバー(45頭)でした。合計で2258回、合計618分の心臓音が録音され、それと診療結果とを元にアルゴリズムの微調整が行われました。

*アメリカ獣医内科学会によるMMVDの病期分類
ステージA:現時点で心臓に異常はないが今後心不全をおこすリスクの高い犬種。
(例)キャバリア・キング・チャールズ・スパニエル、チワワなど
ステージB1:心雑音、弁の変性、僧帽弁逆流が認められ、心拡大が認められないもの。
ステージB2:心雑音、弁の変性、僧帽弁逆流が認められ、心拡大が認められるもの。
ステージC:咳や息切れなどの症状があり、過去に肺水腫の治療をしたことがあるもの。
ステージD:あらゆる内科治療にもかかわらず、治療反応が悪いもの。
ダクタリ動物病院東京医療センターHPより

アルゴリズムのパフォーマンスを分析したところ、どのグレードの心雑音も感度87.9%、特異度81.7%で検出され、心雑音が大きくなるほど感度は99.7%にまで増加しました。グレードが2以上異なるエラーは稀で、全記録の57%において循環器専門獣医師のグレード評価と完全に一致し、95.2%が1グレード以内の評価違いであることがわかりました。また、心雑音が大きい方の2つのレベル(大きな心雑音、スリル(振戦)を伴う雑音)においては特に僧帽弁閉鎖不全症のステージB1とB2をより正確に鑑別していて、感度81.4%、特異度73.9%となっていました。

これらの結果から、人用に訓練された機械学習アルゴリズムを調整したものは、デジタル聴診器による犬の心雑音のレベル診断を正確に検出し、MMVDの病期分類にも役立つことが示唆されたと結論しています。このアルゴリズムを使用すれば、一次診療における聴診スキル違いによる診断のばらつきを少なくし、一般的な心疾患の早期発見と薬物療法や食事療法による管理を改善できる可能性があるとしています。


[photo by tonefotografia]

AI医療を獣医領域にも活用していく未来へ

ちょっとした体の不調を言葉で伝えることのできない犬において、病気の早期発見は飼い主の気づきとかかりつけの獣医師の手にかかっているとも言えるでしょう。ただし医師のようには専門医制度が広まっていない日本の獣医療領域において、このようなAIの力を活用した診療の必要性は今後高まっていくかもしれません。

また、都市部ならまだしも地方では一次診療の動物病院が近くにないことも多く、ましてやニ次診療の動物病院を探すことは至難を極めるかもしれません。これは人の医療領域にも言えることではありますが、医療の地域格差をなくすためにもAIの活用を効率的に取り入れていくことは、一次診療の獣医師にとっても、飼い主にとっても、そして犬たちにとってもトータルでメリットが見込まれる可能性があると考えています。

これからますます人の医療分野でのAI技術を取り入れた医療は発達していくことでしょう。そこから得られる知見を獣医領域にも活かしていけるよう、今回のような研究が進められることを期待したいと思います。

【参考文献】

A machine-learning algorithm to grade heart murmurs and stage preclinical myxomatous mitral valve disease in dogs. Journal of Veterinary Internal Medicine. 2024

ダクタリ動物病院東京医療センター

【関連記事】

獣医療にもAIを〜短頭種のBOASの客観的診断に向けて
文:尾形聡子今年ChatGPTが登場してからとういうもの、生成AI(ジェネレーティブAI:Generative AI)を使ったサービスをそこここで見かける…【続きを読む】
犬種の作出がもたらした弊害〜キャバリアにのしかかる有害な遺伝子変異
文:尾形聡子犬に少し詳しい人なら、キャバリア・キングチャールズ・スパニエルが心臓病に罹りやすいというのを聞いたことがあるのではないでしょうか?キャバリアに…【続きを読む】
ノルウェーのブルドッグ&キャバリア繁殖違法の判決、北欧からの反応とその実情
文と写真:藤田りか子フレンチ・ブルドッグやパグといった短頭犬種は日本を含め世界的に人気だ。と同時に、彼らの異常な体の作り(頭部の作り)に由来する不健全性は…【続きを読む】