グレート・デーン、 世界で一番大きい犬、そして世界で一番の名前持ち?!

文:藤田りか子


デンマークにて1900年にて撮影された写真。古いタイプのグレートデーンと思われる。[Photo by The Royal Danish Library]

国が違えば

FCIに登録されている犬種名はすべて把握していると思っていたし、名前を言われればだいたいどんな姿形か思い起こせることはできる。さて、そのむかーし、イタリアのドッグショーに遊びにいった時のこと。ショー・カタログをパラパラと何気なく眺めていたら、一度も聞いたこともない犬種名が目に飛び込んできた。

「ALANO (アラノ)」

とある。よほどのレア犬に違いないと思いきや、しかしカタログには100頭を超える出陳数。これは放っておけない。早速どんな犬なのか確かめるためにリングに向かったところ…、ありゃりゃっ!

グレート・デーンだらけだったのだ。

そうか、イタリアではグレート・デーンのことをアラノと呼ぶんだ。

たとえ国が違っても犬種はだいたい同じような名前で呼ばれているものだ。柴犬だって、どの国にいってもSHIBAと綴られている。しかし、グレート・デーンにおいてはその限りではないようだ。

ちなみに原産国ドイツでは何と呼ばれているかご存知だろうか?

「ドイチェ・ドッゲ」

デンマークやスウェーデンでは何故かフランス語で

「グランダノワ」

なのにフランスでは

「ドグ・アルマー」

のみならずデーンに関する歴史の資料を広げてみると、出てくる出てくる!ありとあらゆる別名が!

「エングリシェ・ドッゲ、ハッツリューデ、ザウパッカー、ウルム・ドッゲ、デニシェ・ドッゲ、ベーレンバイサー、ブレンバイサー、アラント、カンマレーフンド、ジャーマン・マスティフ…etc」

グレート・デーンってなんでこんな名前持ちなの?!

中世紀のヨーロッパはマスティフ系犬種大人気!

グレート・デーンはいわゆるマスティフ系(Dogge)に属する犬。そしてマスティフ系の犬であるという事実に、名前の多様さの謎が隠されている。

ところでここでマスティフ系の犬の定義を。

「マスティフ系の犬」とはイギリスの犬種「マスティフ」だけをさしているわけではない。ボクサー、ロットワイラーといった、マズルがつまり気味のマッチョタイプの犬を、まとめてマスティフ系あるいはモロッサーと呼ぶ。モロッサーはアジアまたは小アジア(現在のトルコ共和国のアジア部分にある半島)の牧畜番犬を起源にしている犬たちのカテゴリーだ。


ボクサー(左)、グレートデーン(中央)そしてロットワイラー(右)。いずれもモロッサー系の犬種 [Photo by Rikako Fujita]

古代からヨーロッパ中の王侯貴族の間で大変もてはやされ活発な売買いが行われていた。よって中世までにはヨーロッパのありとあらゆる国にマスティフ系の犬が広がっていた。最初は闘犬として、次第に狩猟に使う大型獣の猟犬としてだ。当然国により地方によりさまざまなローカル名が誕生する。まずここにグレート・デーンの多様名称の起源があると考えてみたい。

猪犬、熊犬

昔は今ほど細かい犬種の分類はなく、機能別・タイプ別で犬を分ければ、それで十分犬種の区分として成り立っていた。従ってグレート・デーンであろうとボクサーであろうと、それが「闘犬に使う犬」「熊狩りに使う犬」という機能を持つ限り、同一犬種。たとえばイタリアやスペインではそのような犬の集団をアラノとかアラントと呼んでいた。グレート・デーンはマスティフ系だから、その名残で後にアラノという犬種名が与えられた。

ドイツでは、熊狩りや猪狩りに使われる犬を一括してベーレンバイサー(熊噛み犬)、ザウパッカー(猪狩り犬)と呼んでいた。グレート・デーンはその一味だったので、この名が彼らの歴史に登場してくる。面白いことに、ボクサー(ドイツ原産)もベーレンバイサーといわれていた。つまり昔は2種は別犬種ではなかった。その祖先を辿れば同じようなマスティフ系犬にたどり着くのだ。

イギリスからの影響

ドイツでは1400年代あたりまで、猟犬としてマスティフ系の重いタイプを使っていた。しかし、熊や猪を相手にする猟であれば、重たいだけでは本当は不十分で、相手の攻撃をかわすために、敏捷性も要求された。

イギリスには理想の犬がいた。マスティフ系でもやや脚の長いタイプ。アイリッシュ・ハウンドやグレーハウンドのプロトタイプをマスティフ系に掛け合わせ作られた犬だ。そこで舶来モノ好きのドイツ人は大喜びで1400年代から1600年代にかけて、イギリスからさかんにこの犬を輸入した。この頃から、マスティフ系の犬はドイツで「イギリスのマスティフ」つまり「エングリシェ・ドッゲ」と呼ばれるようになる。グレート・デーンの歴史的名称の一つでもある。

イギリスの犬の導入は大当たり。猪狩りに素晴らしい才能をみせた。1シーズンで1000頭の猪を捕まえた、と豪語するドイツの貴族もいたそうだ。こうなると貴族達は我も我もと、猟犬作りに勤しみ始める。1600年代には犬舎の数が非常な勢いで増えた。犬種などの概念がまだない時代だから各犬舎が各々のスタイルを持ったマスティフ系猟犬を作り出し、勝手に名称を与えていた。例えば「ヴェルテムベルク系ハッツリューデ種」という具合だ。グレート・デーンはこのような当時の名犬舎の犬のいくつかが祖先になっている。そこで又名前が増えてしまったというわけだ。

なぜデンマークに…?

英語名「グレート・デーン」は訳すと「大きなデンマークの犬」という意味になる。何故、ドイツ産の犬なのにデンマークの犬という名が与えられているのか?

ドイツのみならず、中世ではヨーロッパ中の王侯貴族が熊や猪狩りに明け暮れしていた。もちろん国によって各々の猪狩猟犬が誕生していた。デンマークも例外ではない。ドイツ同様、イギリスからマスティフ系の血を入れ、さらにドイツからも血をいれていた。デンマークでは猟のみならず、町で牛を肉屋へ追い立てる犬としてもこの大型犬を使っていた。ちなみにこれがデンマークの国犬「ブロホルマー」の祖先だ。デンマークにはマスティフ系の大きな犬が町じゅうゴロゴロ寝そべっていたと言われている。1500年代、フランスの自然科学者ブフォンがデンマークを訪れた時に、「おびただしい数の猪猟犬をデンマークで見た」と述べている。


ブロホルマーのパピー。 [Photo by Christiane]

おそらくブフォンのこの記述が今日のグレート・デーンの名前の運命を決めたのだろう。近代に入りいよいよドイツが犬種としてグレート・デーンを完成させても、他のヨーロッパ諸国の人々は、フランス人ブフォンの言った言葉に捕らわれていた。即ち「大きい猪猟犬ならデンマーク」と単純に考えてしまったようだ。

というわけで北欧では今でもグレート・デーンのことをブフォンの言葉通り、つまりフランス語のまま「グラン・ダノア」(デンマークの大きな犬)と呼ぶ。


デンマークの画家、Otto Bache (1839-1927)による「猪猟の後」(Statens museum for kunst)。左の犬はデンマークの原産種、ブロホルマーによく似ている。そして中央の黒ぶちの犬にも注目。このような大型犬でかつて猪や熊の猟をしていた。

愛国主義とともに

1800年代、ドッグショーという新しいエンターテイメントがヨーロッパで流行しはじめた。このあたりから、うやむやに「猪犬」と呼ばれていた犬達は、あるものは「グレート・デーン」、あるものは「マスティフ」などと犬種分化していった。最初、グレート・デーンはエングリシェ・ドッゲ、あるいはデニシェ・ドッゲ(デンマークの犬)「ウルム・ドッゲ(ウルムのマスティフ犬)」という名でショーに出陳されていた。しかし1870年の普仏戦争のあたりからドイツに愛国主義が芽生え、人々は『エングリシェ・ドッゲ』というネーミングに疑問を持ち始めるようになった。当時ジャーマン・シェパードは農場犬にすぎない頃だったので、これといったインパクトの強い国犬がドイツにはいなかった。

「なんでドイツの犬がデンマークとかイギリスの犬と呼ばれたりしなければならないんだ。この犬は『ドイチェ・ドッゲ(ドイツのマスティフ)』ではないか!」

そこでデーンをこよなく愛した鉄血宰相の異名を持つビスマルクがパトロンとなり、ドイツに散っているありとあらゆる猪犬が集められた。そして現在のグレート・デーンが完成する。これなら文句ナシにドイツ製でしょう?


German Mastiff Dog (ドイツマスティフ)と記されている。From the illustrated of the dog by Vero Shaw (1881)

FCIに願いを出したものの…

いくらドイツの犬と主張してみても、ドイツ国外の人々にとって一旦馴染んだ名前から新しい名に切り替えるのはそう容易ではなかったはず。相変わらず多くの国が「デンマークの犬」という意味の名で呼んでいた。そこで業を煮やしたドイツは1937年とうとうFCI(国際畜犬連盟)に懇願を出す。

「犬種名をドイチェ・ドッゲに統一してくれないだろうか」

その結果?

「各々の国は各々がよいと思われる名を使ってよろしい」

とFCIは回答。様々な国が様々な名称でデーンを呼んで今に至る。なぜデーンにはたくさんの名前があるのか、理解できた?

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