もし犬が脱走したら… 私の体験談から

文と写真:田島美和

[Photo by 4506673]

友人たちと一軒家を借りて愛犬の美波といっしょにキャンプに参加した。美波は普段街中(まちなか)を散歩するとき、シャッターやショーウィンドウを怖がる。ところが借りた家は新しい環境であるにもかかわらず、その中に入ってしまえば案外怖がることなく探索モードに突入、すかさず2階も見に行った。一通り確認し終えると、その家で最も居心地のよい場所に行って寝そべった。このときは、和室の寝室に敷いてあった羽毛布団の上だった。

友人は全部で6人。全員が美波と初対面だった。最初、美波は緊張していたが、次第に慣れていった。いっしょに遊んだりソファーに座っている人に膝枕してもらったりと、リラックスして過ごすようになっていった。

 普段の散歩では新しい環境を怖がるものの、今回は家の中に入ると、意外に怖がることなくあたりを探索をしはじめた。

事件は翌朝に起きた。散歩を済ませ朝食を終えた後、皆が帰りの荷造りを始めた頃だった。誰もが出たり入ったりと慌ただしくしていたので、美波は落ち着きを失った。そこで一番影響のなさそうな玄関に待機してもらうことにした。そんなときAさんがうっかり玄関を閉め忘れた。美波は外に出ていってしまった。

Aさんが叫んでいるのを聞いてかけつけたものの、私が最後に見た美波は、だらんと尾を垂らし怯えきって走り去る後ろ姿だった。山の中で日常的に呼び戻しの練習はしていた。が、この住宅街では全く効力を発揮しなかった。私はできるだけ冷静になろうと努力した。身一つで探しに行っても、抱っこ嫌いの美波を捕まえることはできない。見つけたときには、おやつとリードとハーネスが必要だ。

それらを手に持ち、美波が自分から戻ってきたときに備えて、車のドアを開けたままにして探しに出た。彼女が好きそうな場所である草むらや林の中を重点的に探した。探しながら、ネガティブな考えばかりが頭に浮かんだ。

「まさかこんなにも早く美波と別れが来るとは。美波も樹海の野犬になるのだろうか?」

これほどまでに不安で切ない気持ちになるのは、生まれて初めてだった。

友人たちと手分けして探すこと30分後。そのうちの一人から、美波を発見したとの電話が来た。その友人は美波を呼び戻そうとしてくれた。なんと何十メートルも離れたところから駆け寄ってきたそうだが、そのあとは蝶に気を取られて草むらで遊び始めたという。それを聞いて私はかなり安心した。

「よかった、美波はパニックにはなっていない!」

だが私がその場所にたどり着いた頃には、美波は再び姿を消していた。近くの林に目をつけて皆に取り囲んでもらい、自分だけ中に入った。しかし、気配がない。取り囲み終える前にその林は通り抜けてしまったようだ。犬は本当に走るのが速い。私がどれだけ探し回ったとしても、美波が私のもとへ戻ってくる気がなかったら、絶対に捕まえられない。でも、お留守番もままならない超寂しがり屋の美波が、私のもとへ戻りたくないはずがない…。

そこで自分の位置を彼女に知らせるために口笛で呼びながら歩いた。こちらがあちこち探すよりも美波が私を見つけてくれる方が手っ取り早いと思ったのだ。しばらくして後ろから足音が聞こえてきた。振り返ると暑そうに口を開けている美波がいた。自らの意思で私のもとへ戻ってきた彼女をたくさん褒めながら、ハーネスを着けた。全く抵抗しなかった。ほっとした。本当によかった。息が停まっていたような、それはそれは長い45分間だった。

犬が家から脱走した際、たいていはその後家に帰ってくると聞く。確かによほどの虐待を受けていなければ、そしてよほどの目的でもなければ、犬は飼い主を置き去りにしてまで逃げてはいかない。戻ってこないのであれば、何か必ず戻れない理由や過去の出来事があったはずだ。

ただし、今回の場合は旅行先の見知らぬ土地。泊まった宿を自分の家として認識していないはずだ。そう考えると、自分から戻ってくることはまずないと思った。だが、住宅地とはいえ緑が豊かで交通量がそれほど多くなかったことが不幸中の幸いであった。

呼んでも犬が戻ってこないときは、

  • 追いかけないこと
  • 捕まえようとしないこと

この二つがとても重要だ。特に美波のような野犬出身のビビり犬に当てはまる。ではどうやって捕まえるのかというと、家の玄関や庭の出入り口を開けたままにしておく。ケージに入る練習をすでにしているのであれば、ケージを置いてそこに自分から入っていくのを待つのが効果的だろう。逆にこちらへ近づけさせるには、あえて背中を見せて別の方へと歩いてみたり、別の何かに注意を向けて見せたりすると、犬は「何があるんだろう?」と興味を持って寄ってくる。これは、オオカミの保護施設で学んだ方法で、オオカミの方に注意を向けていると、オオカミは警戒して寄ってこないが、たとえば地面にしゃがみこんで小石を積み上げたりしていると近づいてくる。ただしこの方法は犬が落ち着いていて、人の動きに着目しているときにしか効果がない。

今回思ったのは、笛を使って呼び戻す練習をしておくと、日本の狭い住宅地では役に立つのかもしれないということだ。そして呼び戻しの練習よりももっと大切なのは、犬との絆の強さだと身に染みて感じた。ただし、どんなに絆が強くとも、飛び出した瞬間に交通事故に遭ったらどうしようもない。日頃から、自分の些細な動作と犬の様子に注意すること、これが何よりの脱走予防となるだろう。

文:田島美和 (たじま みわ)

オオカミのことが頭から離れなくなってかれこれ20年。日本では見られなくなってしまった、オオカミという動物の真の生態、そして人とオオカミの関係を探るべく、アメリカ、ヨーロッパ、インド、そして北欧へと飛び回る。修士では北欧のオオカミの縄張りについてを研究した。