文と写真:藤田りか子
トランスヒュマンザの様子。村から村、町から町。そして夏の放牧場である山に登る。
イタリアのアブルッツィ山地における牧畜番犬文化探訪の旅第2弾である。前回の記事はこちらから。
ヴィーカ
ヴィーカという白くて大きいいわば典型的な牧畜犬にであったのは、トランスヒュマンザ(季節的に牧畜を移動させること。詳しくはこちらから)を行っている3人の羊飼いと百数頭の羊との一行に山岳の小さな町で出くわしたときであった。このトランスヒュマンザには一般の人たちもハイカーとして参加していた。ヴィーカは羊や羊飼いよりもハイカーに付かず離れずという感じで歩いていた。羊の先頭には馬と羊飼いが歩いている。
最近イタリアの田舎地ではアグリツーリズム(イタリア語ではアグリツーリズモ。農業に注目した観光業。日本ではグリーンツーリズムとも)が大ブームになっており、こうして季節的な羊の大移動に都会の観光客を参加させて、あらためて地方の伝統文化を次世代に広めようとしている。一方で観光客たちは、田舎で地元に根ざした美味しいものや、その伝統的な暮らし方を見ながら、普段では味わえないアウトドアな時間を過ごすことができる。村から村へ、古くから羊の移動に使われている急峻な山道を上ったり下ったり。途中でキャンプもしたり。
トランスニュマンザについていった私は、途中馬で移動することに。鎧もなく、ガードレールから背中によいしょ。
アグリツーリズムが他のどの欧州諸国よりもイタリアで盛んなところを見ると、やはりこれは人生フルに堪能するのが上手なイタリア人気質の表れかもしれないと思った。特にトランスヒューマンザは、羊とともに牧羊犬もいっしょについてくる。長くて、険しい道を行くトレッキングとはいえ、犬好きであればこの旅の楽しさ倍増だ。そして我々イタリアの外から来たものにとって、羊飼いと犬との関係がよ〜く観察できるとても面白い機会でもあった。犬たちにはおのおの自分のお気に入りの羊飼いというのがいて、特に「来い!」などと命令されないでも、勝手についていっていた。これぞ、原始的な犬と人とのあり方ではないだろうか。もちろん犬がリードにつながれることなんてない。たとえ町を移動しているときでもだ。
ヴィーカ。羊よりもハイカーについていこうとした変な牧畜番犬。
その中でもヴィーカだけは、牧畜番犬としては「へんてこな行動」を身につけてしまった犬といえる。 町に入れば、羊飼いは200頭に近い羊を休ませるために、町のまわりにある河原の草原などに行く。だが、ヴィーカは羊を無視して、ひたすらツーリストとして参加しているハイカーに付いて行こうとするのだ。
ある時のことだ。彼女は町の広場に立ち尽くしていた。そして喉を潤そうと町のバーに向かって歩いて行く一団のハイカーと、羊の群れと羊飼いの行く方向を代わる代わるみていた。ちょっと考えているようだった。 そして次の瞬間意を決したように、結局バーに向かって走っていった。決してレトリーバーのように、顔をなめようとしたり自分のお尻をおしつけたりして、人に親密なコンタクトを取るわけではない。でも人といるのが好きなのは確かだ!
町に入ると各ハイカーは好きな方向にバラバラに歩き散らばり、群衆の中に見失うこともある。それでも最終的にはヴィーカはちゃんと誰かを探し出した。そして再びトランスヒュマンザに合流して付いてゆく。ヴィーカの「付いて行きたい!」という強い態度は、まさに牧畜犬根性でもあるのだが、羊にではなく人に向けられてしまったようだ。しかし彼女は、ハイカーの気持ちを和ませ、一団のすてきなマスコットとなっていた。
農場での生活
ヴィーカとの出会いを通して、私は彼女が住むアグリツーリズムを運営する大きな羊牧場を訪れることになった。ここでは、伝統的な羊の乳のチーズのほか、世界の地方チーズ製造技術を取り入れ、さまざまなタイプとプロセスを伴うチーズを作っていた。すべて手作りだ。チーズのオリンピック大会でも優勝したことがあり、なんとアメリカ、マンハッタンのいくつかのレストランを顧客にしているほか、当時の大統領オバマ氏にもチーズを届けたということだ。
地元のレストランで売られていたチーズ!レストランのオーナーが所有する農場で製造されたもの。さまざまな種類が切り売りされていた。
牧場の規模はそれほど大きなものではない。この辺りの平均的な大きさといえる。約1300 頭の羊の他、数十頭のヤギ(これもチーズを作る乳のため)、そして数頭の馬やロバ、ガチョウ、そして犬たちが暮らしていた。 オーナーであるヌツィオ・マルチェリさんが言うには、この農場はEUとアブリュッツィ国立公園がとるクマとオオカミの保護政策を全面的に支持しており、それで牧畜番犬を積極的に起用し、さらに生まれた子犬たちを他の牧畜者にも譲っているそうだ。犬たちは柵の中で飼われることはなく、自由に農場やあたりの牧草地を徘徊していた。その数約20頭だろうか。羊たちはいくつかの群れに分かれて山に行くので、やはりこれぐらいの数は必要だと言う。
「時には犬がオオカミにやられてしまうこともありますからね。だから補充するためにも、これぐらいの数がいいのですよ」
とマルチェリさん。
生後5〜6週ぐらいの子犬たちは案の定羊と一緒に納屋で暮らしていた。羊との絆を育んでもらうために意図的に羊飼いが子犬を納屋に住まわせる。そして犬たちをしたいままに任せていた。大人の犬は、前述した通りにどの羊の群れに付いて歩くかは、自分たちで勝手に決めているようだった。が、なぜかヴィーカだけは、羊よりも人間の方を「群れの一員」として選んでしまったとも言える。
こんなイタリアの農場生活を見ると、使役犬の誕生の仕組みというものがわかる。人から特に強制されずとも、犬が自分で何をしたいか意思の決定しているようなのだ。ある犬は羊の番を選び、そして牧畜番犬になる。そしてある犬は狩猟についていく方を選び、後に狩猟犬として一定の個体数を確立させたのかもしれない。ヴィーカという例外のそれもとてもかわいらしいアブリュッツィ番犬を見て、犬種の歴史についてまた一つ学んだところである。
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