ノルウェーから – 動物たちとの付き合い方

文と写真:田島美和

ノルウェーケネルクラブのロゴにもなっているノルウェーを代表する原産犬種、ノルウェージャン・エルクハウンド。エルクというのはノルウェー語でヘラジカという意味。ノルウェーのみならずフィンランド、スウェーデンにおけるヘラジカ猟にても活躍している。(写真&キャプション:藤田りか子)

日本の当たり前が、海を渡っただけで覆される。風土が異なれば、人々の生活スタイルも言語も違って当たり前。同じであることの方がおかしい。でも、時にそれはお互いのいいところ、悪いところをあらわにする。

私はノルウェーに交換留学で9ヶ月滞在した。留学先は、インランド・ノルウェー大学。こんな場所に大学あるのかな…?と不安になるくらい、静かな田舎の農地の真ん中にある、小さな大学だ。大学のすぐ横には、ノルウェーで最も長い、グロンマ川がゆったりと流れている。

ここで最初に目にした動物といえば、犬。私が借りた寮の部屋の目の前に犬舎があり、犬が吠えていた。授業を受けている学生や、講義を行なっている教員の犬だった。また、寮には犬と一緒に暮らせる部屋も用意されている。ほとんどの犬は猟に使っているようだった。この大学には、狩猟を学ぶ学科があり、キャンパス内に行き交う学生、特にノルウェー人は皆アウトドアに行くような服装をしていた。大学のすぐ近くには射撃場があって自由に利用できるようになっていた。ヘラジカの猟期が始まるときは、1週間くらいの猟期休みがあり、その間学生も教員も猟に夢中になる。

大学に併設されている犬のデイケアハウス。ここに学生や教員が犬を一時的に預けておく。各犬舎には、屋内スペースがあり、外に出られるようになっている。デイケアではケージに入れて預かるということはない。北欧のウェルフェアはしっかりしているのだ。

大学の隣の農家では牛を飼っていた。林道を散歩していた時、10頭くらいの白い牛の群れと遭遇した。牛たちは皆で侵入者を好奇心と恐怖の目で見つめてきた。クマに遭うのとはまた別の恐怖を味わった。手前で林道をそれて森の中に行ってくれたのでホッとした。これらの牛は、脱走していたわけではなく、放牧されていたのだ。同じように、ノルウェーでは羊も自由に山の中に放牧されている。この羊牧方法は、現在オオカミの他、ヒグマ、オオヤマネコ、クズリといった肉食動物との軋轢となっている。しかし、柵で囲っての放牧方法は、動物福祉の低下、収益の低下につながる。

ある日、大学で時間を持て余していたところ、羊の死体回収に駆り出された。近隣(実際には決して近隣ではなかった…)で死んだ羊を、授業で解剖するという。この日に回収した羊は2頭。片方はヒグマに襲われたもの、もう片方の死因は不明だった。片方は死後から数日経っていて、モコモコした白い毛の下に見える皮膚は青く変色し、すさまじい悪臭を放っていた。このように羊が死ぬと、その県の野生動物保護管理担当者が現場に来て、死因を確認し、捕食で死亡した場合はその捕食動物の判別を行い、年間でどのくらいの羊が何の動物によって殺されたか、被害状況を記録するのだ。そして今回はこれらの動物を大学の授業で学生に判別方法を教育するのに用いられる。

羊の死体の腐敗臭にクラクラしながらの帰り道、若いオスのヘラジカの死体を見つけた。路肩に横たわっている250kg以上はありそうな動物の死体は迫力があった。付近にトラックの一部が散らばっていたので、どうやらトラックに頭から衝突して即死したように見えた。乗用車だったら、ヘラジカの身体がフロントガラスに突っ込んでくるので、人間にとっても非常に危険だ。スカンジナビアのヘラジカは、北米のヘラジカと比べると一回り小さいが、それでも生まれて4か月後には150 kgに達する。そして、大人のメスだと200 – 360 kg、オスだと380 – 850 kgにもなる。道路や線路で死んだ動物は県の所有物となり、事故を起こしてしまった人は県に連絡することが義務となっている。肉の状態が良いと、その地域担当の動物解体師が来て、精肉するそうだ。だから、道路で死んだ動物を勝手に持ち去ることは窃盗に相当する。

路肩に横たわるロードキルとなったヘラジカ。

このように、ヘラジカの価値が県の収益となるのは、公共道路や線路における事故死個体のみで、狩猟によって捕獲されたヘラジカに対する支払いは、その年の所有者が受け取る権利がある。ヘラジカの性別と年齢によって単位重量当たりの価値が異なり、捕獲した場合は土地の所有者が体重を確認しに来て値段を提示する。つまりノルウェーではヘラジカ猟は、土地所有者の大事な収入源にもなっている。だから、一定の個体数を保てるよう、捕獲できるヘラジカの頭数は厳しく定められている。

ここで日本のシカ事情と比べてみる。日本では、年間60万頭前後が捕殺されている(環境省, 2020)。そのうち食肉として利用されるのはたったの9%(農林水産省, 2016)。スロベニア人の友人が、「年にアカシカ2頭くらい捕って、あとは魚を食べれば妻と二人で十分食べていける」と言っていたのを思い出し、計算してみた。日本人は一人当たり平均30kg/年の肉を消費すると言われている。仮に歩留まり率を高めの40%とし、50kgのメスジカ1頭から20kgの肉が取れるとすると、実に年間364,000人を養える量の肉を廃棄していることになる(600,000 [シカ捕獲頭数]×0.91 [廃棄されるシカの割合]×20 [1頭のメスジカからとれる肉の量(kg)]÷30 [日本人一人当たりの年間肉消費量(kg)])。廃棄というのは、焼却場に運搬するか埋設するかである。どちらも手のかかる作業だが、解体して精肉するにはもっと労力が要る。

しかし、農業被害や自然植生へ影響を与えるシカの個体数増加は早急に対処しなければならない問題であり、日本の狩猟者の高齢化や急峻な地形、厳しい銃の規制、そして狩猟肉を食べる習慣がないという文化的な面からも、シカの利活用の推進は困難に直面している。でもだからといって、大量の殺生を行うことが正義なのか、おそらくシカの捕獲業務に当たっているほとんどの人が疑問に思っているだろう。

私たち日本人がシカを食べないのは、ノルウェー人があまり魚を食べないのと同じなのかもしれない。ノルウェーの西海岸にタラ釣りに行った時、ノルウェー人は本当に魚の身しか食べないということを知った。卵を含む全ての内臓、皮も廃棄。三枚おろしにしたら背骨と頭の部分は廃棄。腹の小骨を含む肉も廃棄。廃棄とはいっても、それをカモメが嬉しそうに食べるのだが。よっぽど大きなタラを釣らないと、食べる部分はほんの少ししかなくなってしまう。日本では頭のてっぺんから尻尾の先まで鍋料理にして食べるのとは対照的だ。ホタテにしても、貝柱と卵しか食べず、貝紐はカモメの餌。

ノルウェーの西海岸でタラ釣りをした。釣ったらさっそく魚をさばくのだが、日本に比べると、魚の多くの部位を無駄にする。

日本には自然の恵みに対して「いただきます」といいながら享受する謙虚で奥ゆかしい態度があるにもかかわらず、一方で大量の在来種、外来種、野犬そして野猫の駆除、狭く無機質な環境での産業的家畜飼育も存在する。まるで動物に対して慈悲の心が全くないように見えてしまうが、これはおそらく目の前のこと以外に無頓着な日本人特有の現象なのかもしれない。日本の風土、文化に合うスタイルで、日本の動物たちの一生を少しずつ改善していけたらと切に願う。

文:田島美和 (たじま みわ)

オオカミのことが頭から離れなくなってかれこれ20年。日本では見られなくなってしまった、オオカミという動物の真の生態、そして人とオオカミの関係を探るべく、アメリカ、ヨーロッパ、インド、そして北欧へと飛び回る。現在は北欧のオオカミをテーマに修士論文を執筆中。

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