犬種差別しがちな犬たち

文と写真:尾形聡子

来年には15年目に突入するタロハナとの生活を振り返ってみると、いろいろな面で山ほど失敗してきたなあと思う。2頭が若いときには少しでも状況を改善できるようにと繰り返し繰り返しトレーニングしたものだが、どうしてもうまくいかずに諦めてしまったことがいくつかある。そして今更ながら、「もっと別の方法を使っていたら、変な癖がつかずにすんだのかな」などと感じることも多い。それは2頭の性格を熟知した今だからこそ思うのかもしれないけれど。逆に、「こういう性格だから、これについてはいとも簡単に飲み込んだのね」とか「これについては私が頑張ってもどうにもならなかっただろうな」などと思うようなこともある。

失敗したと感じているもののひとつに、犬の好き嫌いを“犬種”で即断しがちなところを長年変えられなかったということがある。

彼らは犬種差別をしがちなのだ。

もちろん子犬時代は例にもれず、どんな犬でも分け隔てなく遊んでいた2頭だった。が、1歳も過ぎたころから3歳くらいにかけてだったろうか、少しずつ“犬種”というくくりで他の犬を見るようになっているのに気づいた。

犬種差別に至る経緯はさまざまだが、やはりどれもが“嫌な経験”に基づいている。

たとえばハナはチワワの集団が苦手である。多頭飼いされているチワワに吠えたてられたり、ボール投げをして遊んでいるところを吠えて追い掛けられ、最終的に囲まれ身動きがとれなくなったといった経験もある。すべてのチワワがそうではないのに、チワワ軍団を見るとハナはサッと体を固くする様子は今でも見られる。

タロウはオスのスタンダード・プードルがどうしても嫌らしい。近所にアプリコット色のとても気立てのよいスタンダード・プードルがいるのだが、その犬と会った瞬間に血相を変え、親の敵と言わんばかりに猛烈に吠えたててしまう・・・。その犬が通った直後(散歩していてずいぶん前を歩いているようなとき)に残ったにおいをキャッチしただけでもパッと様子が変わる。その犬からは一度たりとも何もされたことはないのに、だ。

タロウがオスのスタンダード・プードルを差別するようになった理由は、たった一度だけオスのスタンダード・プードルが家に遊びに来たことが原因だと推測している。そのオスの犬は陽気であるのはいいのだがまったく遠慮がなく(私にはそのように見えた)、初めて遊びに来たというのにまるで自分の家にいるかのようなふるまいをしていた。その時には特にもめごとが起きたわけではないがタロハナともにとても窮屈そうにしていた。とりわけタロウはこの上ないストレスを感じていたのだろうと思う。

その後、メスのスタンダード・プードルとは何度か出会ったもののオスと会う機会はなかなか訪れなかった。かれこれ6,7年前くらいだろうか、そのアプリコットの犬が近所で飼われはじめ、散歩で会ったとたん最初からガッツリ吠えたててしまい、それが現在も続いている。

犬が仲良くしたくないならば、あえてその犬と仲良くしなくてもいいと思ってはいる。そもそもそりが合わない犬がいるというのは当然だろう。さらに、犬たちが仲良くしているように見えていても、突如ケンカすることだってある

とはいえ、やはり飼い主として犬種差別しがちなのは喜ばしいことではない。この悪癖に拍車をかけたことのひとつが、一方が吠えたときにもう一方の犬も一緒になって吠えてしまってきたことだと思う。とくにハナは、タロウの標的の犬を見つけるやいなや「あいつがくるよ!」と真っ先に吠えて知らせ、タロウにも吠えるようにけしかける傾向にあったことだ。これもやめさせようと頑張ってはいるが、恥ずかしながら完全に阻止できないままでいる。

差別癖は年齢と共に少しずつ改善されるかなあと淡い期待を抱いていたが・・・残念ながらあまり関係がないようだ。しかし、最近ようやくゴールデンのオスをタロウが受け入れるようになってきた。ずいぶん長い間オスのゴールデンは鬼門だったが、ようやくひとつクリアできてほっとした気持ちでいる。そのオス犬とは1年ほど前から散歩でちょくちょくすれ違うようになり、今では何も気にすることなくすぐ脇をすれ違えるまでになった。タロウが吠え立てようと、その若いゴールデンは一度たりともキレることはなく、そのようなそぶりも一切なかった。爺さんの悪態によく辛抱強く付き合ってくれたものだとその若犬に感謝している。

興味深いのは、基本的に犬種差別は自分たちの狭いテリトリーで起きている、ということだ。普段の散歩コースでも家からかなり離れたところになると、犬種差別する頻度は格段に下がる。車で出かけた先になればまず見ることはない。犬種だけでなく家の近所かどうかという要因も重要で、きっと他にも差別態度を出すかどうかを決めるポイントがいくつかあるのかもしれない。さらには、私から見れば同じようなことをされているようであっても、犬種によってはまったく気に留める素振りすらない場合もある。

一度ついてしまった好ましくない癖を直すのには本当に時間がかかるもの。差別癖については分離不安がネックとなっていて、一頭ずつ散歩に出て対応することができなかったという重大な落ち度が私自身にあると感じている。スパニッシュ・ウォーター・ドッグは犬種的に用心深さを備えているタイプだ。そういった犬種の持つ特徴が悪い方に助長されてしまった例ともいえよう。いつまでも根に持ってないで忘れて欲しいのにな、と言葉で伝えられたらどんなに楽だろう。けれど、犬にそれは通用しない。

ともあれ、タロハナの犬種差別が少しでも緩和されるよう細々とではあるが努力は続けている。なるべく毎日心穏やかに2頭が散歩ができるように、そんな思いがあるからだ。犬種差別癖を通じて、晩年になってもよき方向へ変われることもあるのだと実感している今日この頃である。

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