オムツ生活に入って

文と写真:尾形聡子

春生まれのハナも4月で14歳になった。そんなハナがおねしょをし始めたのに気づいたのは去年の暮れのことだ。

その年の春くらいからずっと、膀胱炎が良くなっては悪化してを繰り返していたので、最初は膀胱炎が原因の異所性のオシッコかと思った(トイレに間に合わずに別の場所でしてしまうパターン)。

小さいとき、お腹が弱かった二頭にとっては部屋のトイレは必須アイテム。だいぶお腹も強くなった今でも、私が気づかないうちに夜中にお腹を下して部屋が惨劇の場所と化すことも年に何度かある。

しかし、そんな時でも部屋のトイレ以外の場所で排泄をすると、とても落ち着かない様子を見せていたし、ましてやうっかり自分の寝床にかかろうものなら、むしろその場所を避けていたほどだ。

なのに。今回はそれとは違った。

最初は、私が酔っ払った時に何かこぼしてしまったのかと思った。しかし濡れている場所がベッドから起き上がってきたハナがそれまで寝ていたところだと気づいた。排泄物で濡れた敷物の上に寝ることなどこれまでの生活ではありえないことで、それはもれなくハナが自分でオシッコをしたという意識がないことなのだと、一瞬頭が真っ白になった。

そうか、ハナはおねしょをするようになったんだ。歳だなあ。。。

幸い運動機能はタロウと比べれば雲泥の差で、ハナはまだまだ元気に走るし、ボール投げも大好きだ。けれど、老いは確実に、着実に次から次へと忍び寄ってきている

さて、おねしょするようになったならば、次に考えるはその対策。

仕事で外に出なくてはならず、残念ながら四六時中家にいることができない。たとえ家にずっといられるとしても、寝ているうちにおもらししていたら、もはやそれを防ぐこともできない。

そこでまずは防水・吸水シートなるものを探し(両方の機能があることが大事。防水だけではオシッコが流れてしまうので)、犬の寝床やら私のベッドの上にかけてみた。それと並行して、長時間の留守番のときと夜の就寝時にオムツを履かせてみることにした。

洋服などまったく着ない生活を送ってきたのでオムツにどう反応するか心配だったが、とりわけ嫌がる様子もなく履いてくれた。もちろんご褒美のおやつ付き。そうして数回はオムツでおねしょキャッチに成功するも、5回目くらいだったろうか、私が仕事に出かけている間にオムツをビリビリに破ってしまうようになってしまった。

それを何度か繰り返して分かったのが、夜に私と眠りにつくときには大丈夫なのだが、留守番の時には破るということだ。私が留守にしているということ自体、未だに気に入らないのだろう(ハナはずっと分離不安が大変だった)。留守番ストレス解消のはけ口になってしまったのかもしれない。おむつカバーも考えたがそこまでせずともシートを洗えばよし、ということでカバーは却下した。

こんな変遷を経て、今はオムツは夜だけ、日中は防水・吸水シートに活躍してもらうという生活を送っている。

オムツ生活はまだまだ初心者ではあるが気づいたことがいくつか。ハナは今でもオムツというものが何であるのかがわかっていない。夜中にオムツをつけて寝て、朝起きたてにそのままトイレに行き、オムツを履いたままでも気にせずオシッコをすることがあるからだ。

そんな様子を見ても、履かせるときに嫌がる様子を見せないことからも、オムツの役目は分からずともオムツをつけていることにそれほど違和感はないのだと思う。やはり、日中の留守番の時に破ってしまったのはストレスと退屈の延長上にあったのだと思う。

そして今のオムツは本当によくできているなあと思った。それほどピッチリしている感じではないのだが横漏れすることもなく、おもらし後に触ってみてもたいした不快感はない。長時間そのまま放置したら皮膚炎などになってしまうかもしれないが、短時間であればそれほど健康への影響はなさそうだ。

しかし、だからといって、加齢や病気を抱えている犬ではなく、普通にオシッコができる状態の健康な犬にオムツを履かせるのはやはり抵抗がある。オムツの機能が良くなれば良くなるほど犬は不快を感じることがなくなるだろうが、それでは根本的なおもらし防止にはならないと思うからだ。そもそも健康な動物には排泄をコントロールする能力が備わっている。家の中での粗相を防ぎたいのであれば、やはりトイレトレーニングが必須だ。

そして、家の中でもトイレに行ける状況にしておくとしても、犬にとって散歩中のトイレはそれとはまったく別物で、犬の社会的生活においてとても大きな意味があることを忘れてはならないとも思う。

使い捨てのオムツは文明がもたらしてくれた便利な道具ではあるが、それを使うことと生き物に備わっている本能とが必ずしも合致するわけではない。世話をする側の都合で合理性だけを追及するのは、人の場合には相手から理解を得られても、犬たちとってはストレスになりかねないということも。

これからも老いが進むにつれていろいろなことが起こるだろう。けれど、自らのおねしょを気にすることなく生活を送っているハナを目の前にすると、私も悲観的になりすぎないよう、老いの時代を前向きに楽しく過ごしていきたいと思うのだ。