犬を撫でるということ、犬にとって撫でられるということ

文と写真:アルシャー京子

撫でられると犬だってうれしい。でも、なぜ?

一日の仕事を終え一息つくためにソファに座る私を見ると、愛犬はこの時を待っていましたといわんばかりにすかさず寄ってきて、必ず私の隣に陣を取る。私の腿にくっつけられた愛犬の体をワシワシと撫でてやると、愛犬はまもなく仰向けになってヘソを天井へ向け、そして「犬の開き」ができあがる。

この何気ない日常の、何気ない愛犬とのスキンシップが、実は私だけではなく、愛犬の情緒にとってこの上なく大事な役割を果たしている。

犬のグルーミングは特にそれが犬同士の間で行われることで、単なる体の掃除だけの意味合いではなくなる。犬同士のグルーミングは、体を寄せ合っている犬同士の関係を保つ大事な社会的コミュニケーションのひとつに数えられ、犬あるいはオオカミの群れの食餌の後など、ポジティブな友好関係におけるリラックスプログラムとしてよく観察されるものである。

相手の背中や首筋をゆっくりと舐めたり、耳元を前歯で小刻みに噛んだり、そこから少しふざけた風に寝転んで相手に前足をかけて大きく口を開けてみたり。一日に何度も行われるグルーミング行動は、犬社会での決まったパートナーとの関係の維持・構築のためのコミュニケーションツールであり、また同じ群れの仲間に対する愛情表現である。その頻度によって相手との関係の深さが測られる。

犬のグルーミング行為は成犬になってから身につくものではなく、子犬の時、実に社会化期と呼ばれる時期からの延長である。子犬が物心つく時期から多くの犬にもまれ、犬社会でのコミュニケーションルールを充分に学んで育つことは、成犬になってからも情緒の安定した性質を持ち、問題となり得る状況において解決策を備え、社会に適応できるだけでなく、生活環境におけるストレスが軽減されることによって免疫能力も高くなることを意味している。

もちろんこのリラックスプログラムが同種間同士だけでなく、異種間でもおこなわれることは、すでに多くの科学者達が主張し、「異種間同士の中でも特に、犬とヒトとはその長い共生の歴史から、お互いをソーシャルパートナーとして優先的に選択することがいつしか遺伝として引き継がれるようになった」とドイツの犬学者フェダーセン・ペーターセン博士は言う。

ヒトの手が犬の口に相当するという仮説を借りるとすると、ヒトが犬を撫でることは、まさに犬にとって犬同士のグルーミングに相当する。ヒトの手が犬の口に取って代わって犬同士のグルーミングと同じように犬の背中を撫で、耳の下を掻いてやり、まさに犬同士のコミュニケーションの相方、をヒトは代わって担っていると容易に想像できる。

そもそも社会的生活を営む犬という動物を、狭い檻内飼育や長時間の留守番など、単独で同類やヒトなどのソーシャルパートナーから離して飼うと、犬はその社会心理的な負担から、脳下垂体−副腎皮質システムと副交感神経システムの2つのシステムにおいて神経内分泌的反応(Neuroendkrinic Reaction)を引き起こす。コルチゾール、コルチコステロン、アドレナリン、ノルアドレナリンといったホルモンが分泌され、それが長期に渡ると心疾患や消化器系疾患、呼吸器系疾患などの心身症(Psychosomatic Disease)*として現れやすくなるのだ。これは、犬の習性に適正なソーシャルパートナーとのコミュニケーションを欠くことが出来ないということを示している。

* 心身症の概念は19世紀のドイツに生まれ、1935年に人医学で一つの分野として認められたその後、20年も経たないうちに動物でも同じ現象が起こることが確信された。

逆に言うと、撫でられるのが嫌いな犬は社会性が乏しく、情緒が不安定とも言えるだろう。なぜ撫でられることを犬が嫌うのか、子犬の頃からたくさん撫でてもらう機会が少なかったのだろうか?残念ながら、心身症は症状からその原因を特定することが難しく、犬の情緒不安定さが社会心理的なストレスによる可能性があると言うことは、撫でられ嫌いを単なる犬の個性として見過ごす飼い主が多いように、一般飼い主の間ではいまだに認識が低い現状だ。

ヒトにスキンシップを求めるディンゴ。

「犬を撫でると幸せホルモンのオキシトシンが分泌される」との研究報告を聞いて、犬を知る人なら誰もが「撫でられる側の犬にだってオキシトシンが分泌されて幸せ気分になる」と推測するだろう。そりゃそうだ、一度撫でられることの気持ちよさを感じた犬ならば、何度だって撫でられにやってくるのだから、その姿を見るだけで、もうオキシトシンの分泌結果は分かっているようなものだ。

もしかしたら、この「撫でる」という行為こそが15000年前の犬とヒトとのお互いを引き寄せた最も大きな原因かもしれない、なんてのは勝手な想像だろうか。

(本記事はdog actuallyにて2012年6月19日に初出したものを一部修正して公開しています)

【関連記事】

優しく撫でて話しかける~15分間の人との交流がシェルター犬にもたらすいい影響
文:尾形聡子 犬は人と同じ社会的動物です。ひとつ屋根の下に暮らす家族との交流はもちろん、散歩に出ればほかの人や犬、動物と接触を持ちな...
なぜ犬は人と特別な関係を結べたのか~菊水健史先生セミナーレポート(3)
文と写真:尾形聡子 なぜ人と犬が特別な関係を結べたのか、認知科学研究の見地からその謎に迫るお話も今回が最終回になります。麻布大学獣医学部動物...