動的平衡と、犬と人

文:尾形聡子

[photo by SashaW]

動的平衡という言葉、日常会話にでてくることは滅多にないのではないかと思います。かくいう私も、青山学院大学の福岡伸一教授の『動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか』という本を読むまではちゃんとした意味も知りませんでした。Wikipediaによれば、動的平衡とは『物理学・化学などにおいて、互いに逆向きの過程が同じ速度で進行することにより、系全体としては時間変化せず平衡に達している状態』のことを意味するそうです。

生物学者である福岡教授は、本の中でこの動的平衡という言葉の概念を長年培ってきた自らの生命観に取り入れ解釈しています。そして、

『絶え間なく流れゆく時間の中で、生命を取り巻く自然界の全てが絶妙な平衡状態を保っていること』

という切り口から、ダイエットや食品の安全性など私たちに身近な話題から、再生医療やプリオンタンパク質などの専門的な分野に至るまで、科学の発展の歴史を交えながら命をとりまくさまざまな話を展開していきます。

この本を読み終えたあと、たまたま、科学専門誌『Current Biology』に掲載された犬の行動学の研究論文とそれを紹介する記事を目にしました。そこには犬は人間でいうところの6ヶ月から2歳の子どもと同じ程度で人の視線を追う能力を持つことが示されたと書かれていました。

ハンガリーの動物行動学者らの研究チームは、2つのパターンで録画した映像を犬に見せるという実験を行いました。ひとつは試験者が犬の方をしっかり向いて犬に明るい声で呼びかけ、その後に試験者の両脇に置いてある容器のどちらか一方を見るというパターン、もうひとつは犬の方へは視線を向けずに暗い声色で呼びかけ、その後に容器の一方を見るというもの。

実験において、最新型の視線追跡装置を使用して犬の視線を解析したところ、人(試験者)の声色と視線(コミュニケーションをとろとしているかどうかの意図)とそれに続いて人が向ける視線の先を目で追うかどうか判断するという社会的スキルを、犬は6ヶ月から2歳程度の子どもと同程度に持つという結果になったのです。

この研究でいうところの社会的スキルとは、『犬は人の心を読める=気持ちのうちを(超能力者のように)理解できる』ことではなく、『犬は人から自分に向けられた注目(視線や声色)に対して人が何を意図しようとしているのかを一生懸命読もうとし、それに対してどのように応えるか判断しながら人とコミュニケーションをとろうとしている』ということになります。

実験結果から、犬と6ヶ月~2歳くらいの子どもは同程度の社会的スキルを持つことが示されましたが、人は子どもから大人へと成長していく過程において言語コミュニケーション能力などさまざまな社会的スキルを習得していきます。そうして社会的なスキルが高くなればなるほど、無意識のうちに、今回の実験の対象とされたようなスキルに人はあまり頼らなくなっていくのではないかと思います。一方で犬は言葉で人と会話をすることができませんから、一生をかけて『人を観察してそこから人の意図を予測しようとする能力』を磨き続けていくことになりると考えられます。

とすると、もしかしたら『人を観察してそこから人の意図を予測しようとする能力』に関しては、人よりも犬の方がより高くなっている可能性があるのを否定できないのではないでしょうか。そうであると仮定すれば、「あなた(人)には分からなかったことも、私の犬はお見通し」と感じるようなできごとが起こるのも不思議ではないかもしれないとも思うのです。

また逆に、人の『犬を観察してそこから犬の意図を予測しようとする能力』については、はたして人が犬と共に暮らし始めるようになってから社会的スキルとして成長させてこれたのでしょうか。もしかすると、人はそれを進化させられなかったばかりか、文明化にともない退化させてきたかもしれません。

[photo by E SSK]

さて、ここまできて冒頭に登場した福岡教授の動的平衡の本、続いての社会的スキル研究の話はまったく別物なのに、と思われるかもしれません。が、私はこの本と論文を読んで、犬と人の関係を動的平衡という観点から考えてみようと思うに至りました。福岡教授の言葉をかりれば、

『絶え間なく流れゆく時間の中で、犬は人との関係において絶妙な平衡状態を保ち続けてきながらも、その平衡状態は少しずつ変化し続けている』

ということになろうかと思うのです。

犬は家畜化という一大イベントをきっかけに、人とコミュニケーションをはかる能力に長けた個体が自然に、あるいは人為的に選別され、長い年月をかけてその能力を伸ばしてきたと考えられます。いまはどんな犬にも備わっている、遺伝子レベルで獲得した社会的能力です。つまり、そこには進化が見られます。時代の変遷にともない人との共存環境が変わろうとも、人との社会的関係については動的平衡を保つようずっと犬が働きかけてきたために進化させることのできた能力とは考えられないでしょうか。人とうまく共存していくことは、犬が太古から選択しつづけてきた生物戦略であり、犬としての生存価を高めることでもあったと思うからです。

著書の中には、

『このようなわずかながらの変化の軌跡と運動のあり方を、ずっと後になってから”進化”と呼べることに私たちは気づくのだ』

とも書かれています。

一方で人はどうでしょう。人が犬と共存してきたことで得た能力はあるのでしょうか。世界中の誰もが持っているような能力です。少なくとも『犬を観察してそこから犬の意図を予測しようとする能力』を人が獲得したということを証明するような研究は見たことがありません。人は、人の目的にかなうように犬を育種してきたため、その目的から外れる犬は残していかなくてもいいという選択権や決定権を握っていました。ですので、犬と比べると、お互いの関係において動的平衡を保とうとする意識はおしなべて弱かった、もしくは別の手段を使っていたことが、犬との関係性においての新しい社会的能力の獲得に結び付かなかった大きな理由ではないかと思います。

[photo by Daniel Lowe]

しかしこれから、人が犬と共に平衡状態を意識的に保とうとしていくならば、遠い先の未来には、言語なしで難なく犬とコミュニケーションが取れる術を世界中の人々が持って生まれるように進化を遂げている、なんていうことも起こらないとも限りません。犬が家畜化されたのは、少なくとも今から1万5千年以上も前のこと。たとえば、それと同じだけ時間がすぎた1万5千年先の未来の人と犬との関係はいったいどのように変化しているのでしょう?残念ながら私たちは1万年先の人と犬の姿を見ることは叶いませんが、今の私たちの犬との関係性が、遠い遠い未来へ向けた両者の進化へとつながっていく可能性は大いにあるということなのです。

(本記事はdog actuallyにて2012年1月22日に初出したものを一部修正して公開しています)

【参考文献】

Dogs’ gaze following is tuned to human communicative signals. Curr Biol. 2012 Feb 7;22(3):209-12.

動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか