どうして自分で決められないんだ ー愛犬避妊去勢事情ー

文と写真:五十嵐廣幸

犬のdesex(避妊・去勢)について思うことがある。犬は自分の愛するパートナーだ。その犬のdesexを他人がああだこうだと言わなくても飼い主ひとりひとりがdesexのメリットとデメリットをしっかり調べ、それを自分の犬に当てはめて将来を想像し、その手術が必要なのか、そうでないのかと選択すれば良いのではないかと思っている。

オーストラリアではほとんどの犬がdesexの手術を受けている。理由はいくつかあってその一つは、支払う犬の登録料がdesexの有無によって違うことだ。desexをしていない犬はしている犬よりも高額な登録料を毎年支払わなければいけない制度を導入している自治体が多い。子犬期のワクチン接種のときに獣医師から「半年たったらdesexの手術にきてください」と言われ、なんの躊躇いもなく犬が1歳になる前にdesexをする傾向が強い。またオーストラリアではオフリードで散歩をする犬が多く、睾丸を持ったオス犬同士の争いやメス犬を欲しがるための争いなどのトラブルを防ぎたいという気持ちもあるのだろう。それもdesexを進んで施すことに影響しているように感じる。

「飼い犬にはdesexをするべきだ」そんな価値観がある種の文化のようになっているオーストラリアでは、飼い主はdesexについて特別調べることもなく、まるで何かの決まった行事のようにdesexをしているとさえ思うことがある。私はその言わば流れ作業的ともいえるdesexのあり方に不安を感じるのだ。果たして周りの人がしているから「自分もする」ということになっていないだろうかと。

なぜdesexが推奨されるのだろう。言われていることは大きく以下の3つになると思う。

  1. desexをすることによって予防できる病気があること
  2. 一部の犬のストレスや行動の改善が見られること
  3. 望まれずに生まれてくる犬を減らすこと

犬は電化製品のような決まった規格をもつわけではなく個々の体は違うわけだから、上記の1、2のdesexの影響はまちまちであると言えるだろう。実際私の飼い犬だったオスのゴールデン・レトリーバーはdesexをしなくても病気ひとつすることなく15歳の犬生を終えた。メスのマルチーズは14歳まで生きたが、彼女は2度乳がんの手術を受けた。もしdesexをしていたら彼女は乳がんにならなかったのだろうか?勿論その可能性を低くすることはできたかもしれないが、ゼロにできたという確証はない。

3の望まれずに生まれてくる犬を減らすことというのは、正直な気持ち「飼い主よ、しっかりしてくれ」と思う場面でもある。

犬の繁殖にはプロフェッショナルとしての知識が必要だ。親犬の選択はもちろん、病気や気性、遺伝的な面も調べぬき、繁殖を行う。「愛犬の子犬の顔が見たい」と思う飼い主も多いかもしれない。しかし、安易な繁殖は健全ではない犬を誕生させてしまう可能性を高める。犬だけでなく飼い主も楽しいドッグライフが送れるのは適切な繁殖が行われているおかげといえる。


ゴールデン・レトリーバーのジュークはオス犬、メス犬のどちらにもまったくといっていいほど興味を示さず、森の中の散歩と泥沼だけをこよなく愛した。彼の犬生の中でたった一度だけ、旅先のセントバーナードを気に入りハンピングをしたが、彼のそのような行動は後にも先にもそのときだけだった。そんな彼に子犬を作らないためのdesexが必要だとは思えない。

不幸な犬を減らすため

望まれずに生まれてくる犬を減らすためのdesexは、時として「不幸な犬」を減らすためといった感情が付随することがあり、愛犬のdesexについての判断基準がズレてしてしまうのではないかと懸念している。

例えば、犬が逃げた時の妊娠を防ぐためのdesexは、結果として飼い主がいない犬や殺処分される犬を増やさないことに繋がると言える。が、しかし現在の日本の保護犬の数の多さを考えると、desexそのものは子犬を生ませないようにする抑止力にはなるものの、「不幸な犬を増やさない」ための根本的な解決には力が足りないように感じる。私は「不幸な犬」を作り続けているのは犬の生殖能力の有無ではなく飼い主の責任が大きく左右していると思っている。

  • 面倒が見られないから犬を捨てる
  • 犬の行動や生活が理想と違うから犬を捨てる
  • 飼い主本人が事故にあったり死亡したりした後の犬の飼い主を探していない
  • 犬を飼うために必要な金銭が不十分
  • 犬がストレスを溜めない暮らしや環境を提供できない(長すぎる犬の留守番時間、不十分な散歩など)

犬が不幸になる理由を挙げればきりがないが、犬を不幸にしてしまうのは、飼い主としての資質不足が原因であるといっても過言ではないだろう。犬をdesexしたところで、飼い主がその犬を捨てたらいとも簡単に不幸な犬が一頭増えてしまう。愛犬のdesexの必要の有無を考えると同時に、まずは、目の前にいる自分の犬とどうやって幸せに過ごしていくか、迷子になるのをどうやって防ぐかを飼い主ひとりひとりが考え、自分の犬に対してしっかりと実行していくことが「不幸な犬」を減少させることになるのではないか。

desexについての価値観や方向性は、飼い主だけでなく各保護団体、国や地域、そして文化によって違っていて当然だろう。大事なのは自分の犬のdesexをどう捉えるかだ。必要か必要でないかを飼い主が真剣に考えることだと思う。オーストラリアと違いまだ明確なルールがない日本は飼い主自身が愛犬のdesexを自分の責任で決めて実行することができ、desexについての議論をする余地もたくさんあると私は考えている。

皆さんは自分の犬のdesex、どう考えていますか?

文・写真:五十嵐廣幸(いがらし ひろゆき)
オーストラリア在住ドッグライター。
メルボルンで「散歩をしながらのドッグトレーニング」を開催中。愛犬とSheep Herding ならぬDuck Herding(アヒル囲い)への挑戦を企んでいる。サザンオールスターズの大ファン。
ブログ;南半球 deシープドッグに育てるぞ