「愛犬の苦痛」と「愛犬の安楽死」

文と写真:藤田りか子

つい数日前のことになるのだが、以前飼っていたロンディというシェットランドポニーの安楽死に立ち会った。10年前に友人に譲り、それ以降は彼が彼女の世話をしてきた。19歳という寿命。30歳を超えるポニーは珍しくないだけに、あと倍は生きて欲しかった。ロンディの安楽死を友人が決心したのは、彼女が蹄葉炎という病気を患っていたから。蹄葉炎というのは、蹄の中が炎症を起こす病気。この病気にかかると足先の血行は悪くなり、ひどくなれば腐ってくる。馬の場合、動けないというのは体の構造上、致命的。脚を壊してしまった競走馬が安楽死させられた、というのは皆さんも聞いたことがあるかもしれない。

スウェーデンでは家庭で馬が乗用馬としてあちこちで飼われているだけに、変な言い方ではあるが、「安楽死」というのは身近な概念でもある。馬に携わっていればいつかは通る道。また、回復不能の馬の延命を考える人はまずいない。馬は四肢で重い体を支え、たえず動いているのがその生き方でもある。そして体の仕組みも生理もそれに沿って機能をしている。だから回復が無理とわかった時、人々は決して安楽死の躊躇はしない。ロンディの蹄葉炎が発覚してから数ヶ月間手を尽くした末の友人の決断も早かった。というか、痛みから早く解放してあげたい、という気持ちの方が強かったと思う。確かにロンディの最後の日々は立っているのも苦しそうで、身動きができない状態であった。

回復不能の動物の苦しみをできるだけ早く和らげてあげる、というスウェーデンでの考え方は愛犬に対しても同様に適用されている。以前東京で開催されたウェルフェアに関するセミナーで、私は北欧のアニマル・ウェルフェアについて話をさせてもらったことがある。ちなみに動物を人の利益のために利用しない(そのために殺さない)、を主張するアニマル・ライツとアニマル・ウェルフェアは異なる。ウェルフェアというのはいわば「(人の管理下にあったとしても)動物が満たされ気持ちよく生きる」を強調した考え方だ。そしてヨーロッパの動物保護法は、ウェルフェアの基本精神に基づく。スウェーデンはその点でスイスに並んで世界でも保護法が最も整っている国としても知られている。だから文化に根付いたウェルフェア観というものを皆さんに知ってもらおうと思って、以下の話をしてみた。

「末期ガンでほとんど寝たきりで日々を過ごす猟犬がいました。その犬を伴って長年狩猟を続けてきたお父さんは、ある日犬を連れ出し森に出ました。重い病気にもかかわらず、一旦シカの匂いを取り出すと、その猟犬はいつものごとくワンワンと吠えながらシカを追い始めました。いよいよそのシカが藪から追い立てられ姿を現しました。が、お父さんのライフルは目の前を走るシカには向けられませんでした。程なくしてシカの後を追ってその猟犬が踊り出てきたその瞬間!銃の火が吹きました。今日、森にやってきたのはお父さんの辛い決断でした。でも、『これがあいつの最も幸せな瞬間なんだ。シカを追い森を走り回るということ。家の中で苦しんで最期を迎えるのとどっちがいいと思う?猟犬にとって外に出れないぐらい辛いものはないんだ』とお父さんは言いました」

そう話し終えた途端に会場はどよめいた。司会を務めていてくれた人が聴衆者の動揺を落ち着かせようとフォローをしてくれた。私はスウェーデン人ではなくれっきとした日本人だが「苦痛の解放」と「生活の質」に関しては、母国に在住していたときから自分の価値観の中の大事な点として捉えていた。だからスウェーデンというかヨーロッパ的な「生命観」にも違和感を感じたことがなかった。

ヨーロッパの安楽死の話をすると必ず日本の仏教観と西洋のキリスト教観の比較で質問を受ける。が、私は今というこの時代、本当に宗教観が関係しているのかどうかあまり定かではないではないと思う。人間の安楽死はいいけれど、動物の安楽死を反対する人もいる(それは人は自分の意志で決めることもできるからだ)。安楽死にするか、命がある限りできるだけ全うさせてあげるか、それは人の相対的な価値観に拠るのと同時に、時には絶対的なウェルフェアに関わる問題でもある。どこで線引きをしたらいいのだろう?

ロンディの安楽死の際に一つ思った。何がそんなに辛いのだろう、ということだ。それは相手の存在を我々の決定によって「失う」ということへの恐怖に他ならないのではないだろうか。「失うという恐怖」は死への恐怖でもあり本能的なものなのかもしれない。

ロンディにいよいよ麻酔薬が投入される際になって、私はもう一度獣医さんに「やはりもう回復の見込みってないのでしょうか?」と尋ねていた。チューブに麻酔薬が一旦流し込まれれば、その次の瞬間目にするのは生命のなくなったロンディである。それを見るのがとても辛く怖かった。できるなら明日まで待ったほうがよかったのかも、などと考えがよぎった。しかし、ロンディは痛みで苦しんでいた。麻酔薬が投入され5秒もしなかったと思う。ロンディの250kgの体はドスンと音を立て倒れた。しばらく待った。苦しんでいる様子はない。仲間の馬がどうしたんだろうと横たわっているロンディの匂いを嗅ぎにやって来た。心臓は止まったと獣医さんが聴診器を当てながら言った。友人は泣いていた。

我々の悲しみと反比例するように天気はよかった。もうすぐイースターがやってくる。空気は冷たいものの春はそこまで。地面に倒れたロンディの半分開かれた目には、太陽の日差しが輝き反射していた。