それでも野生に憧れる?家畜化にもっと感謝を – だから犬!

文:藤田りか子


[Photo by Dann Aragrim]

オオカミ犬が好き、という人がいる。なぜかというと、より「野生に近い」からだという。人は野生にロマンを抱きたがるものだが、ただし「野生」を持った動物を人間の住む「文明の世界」に放りこむ、のは必ずしもその動物にとってのウェルビーイングには繋がらない。それは、野生に生きること=怖がりやすい、の方程式があるからだ。可哀想だなんて思わなくてもいい。なにしろ怖がっていないと、野生ではサバイバルできないのだ。

社会化期に人との接触を受けずに育った野犬は、なかなか人に懐こうとはせず、たえずビクビクしている。そんな保護犬の様子を見て多くは

「心を閉じてしまっている」

「心を開かない」

とセンチメンタルに表現する。だが、彼らは別に心を閉じているわけではない。野生を保っているだけだ。自分の住処から連れ去られ、おまけに無理やり人の世界に住まわされて最高に居心地が悪い思いをしている。時間をかければ、人の存在はそれほど怖いものではない、と学習してくれるようになる犬もいるが(それを人は「心を開いた」と表現する)、しかし犬の本心としては野生に戻りたいはずである。そしてもし元の住処に戻してもらえば、彼らは嬉々として残飯あさりに走りまわったり、仲間と徒党を組んで獲物探しに励む毎日を送ることだろう。

なぜ家畜化?

「野生」に憧れているのであれば、「家畜化」なんて言葉は一番おぞましく聞こえるものかもしれないが、家畜化を十分受けた犬について私たちはもっと感謝の気持ちを抱かなけらばならない、というのが今回のテーマだ。

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