愛犬のにおい、嗅ぎ分けられますか?

文:尾形聡子


[Photo by Petra Bouchalová on Unsplash]

人は外部情報の知覚を視覚に大きく依存する生物です。その割合は87%とも言われている一方で、嗅覚は全体の3.5%にすぎません。嗅覚が非常に優れている犬に比べて人のそれは劣ってはいるものの、生活を送る上で重要な役割を持っています。

たとえば、不快と感ずるにおいはコミュニケーションをとる際に悪い影響を与えかねません。さらに嗅覚は、人間同士の個体識別にも重要な役割を果たしており、母子間の認識に焦点を当てた研究などは数多く行われています。完全に嗅覚の機能を持った状態で生まれてくる赤ちゃんは、知っているにおいと知らないにおいを区別できるために母親のおっぱいを見つけることができると言われています。逆に母親は、出産後数時間のうちに自分の赤ちゃんをにおいで識別できるようになるそうです。残念ながら父親にはこの能力はないそうですが、子どもがある程度の年齢になると、においで子どもを識別できるようになる能力を得る人もいるとのことです。

このように、少なくとも19世紀以降ずっと「人の嗅覚は鈍い」と考えられていました。しかし最近は他人をにおいで識別できることが示されつつあります。ですが、人が異種の動物をにおいにより個体識別することができるかどうかを調べた研究はほんのわずかしか行われておらず、犬に至っては2000年に発表されたたった一つの研究しかありませんでした。

その研究では、個体識別テストの1ヶ月前から犬を洗わないようにして、テスト前の3日間、犬のベッドにテストで使うフランネルのブランケットを敷き、その上に犬を寝かせるようにしました。テストは二者択一の形で、3日間使用して密封しておいたブランケットと別の犬の同じものを目隠しした飼い主が嗅ぎ分けるというものでした。その結果、26人中23人(88.5%)が正解。ただし、そのにおいが好みだったかどうかについては偏りが見られ、好きなにおいだから正解したというわけではなかったこともわかりました。

チェコ生命科学大学の研究者らは、この2000年の研究では2つのサンプルを比較して選ぶ方式だったため、一方を「嗅いだことのない新しいにおい」と感じれば、正しい方ものを嗅ぎ分けて選ばずとも正解する確率が大幅に高くなる可能性があると考えました。そこで彼らは、飼い主に6つのサンプルの中から愛犬のにおいがするものを1つ選んでもらうという方法にして結果の確証性を高めるとともに、飼い主の性別や年齢などのいくつかの要因が成功率に影響するだろうと仮説を立てて実験を行いました。


[photo by Soren Wolf]

自分の犬を嗅ぎ分けられた人は…?

実験に参加したのは3歳から72歳までの53名の犬の飼い主(女性40、男性13)でした。そのうち17名が2頭の犬を飼っていたため、それぞれの犬に対して識別テストを実施しました。犬のにおいの採取は、ほかの生活臭が混ざらないよう屋外にて犬の首輪の下に滅菌ガーゼを挟み込み、1時間後に滅菌ガラス瓶に入れる方法で行われました。飼い主は、サンプル採取の少なくとも2週間前から犬を洗ったり、被毛になにか化学的な液体などを振りかけたりしないように指示されていました。テストは、ランダムに並べられた6つのガラス瓶(1つは自分の犬のもの、5つは別の犬のもの)の中から自分の犬のにおいがどれであるか、飼い主が納得いくまでにおいを嗅いで選ぶというものでした。

その結果、71.4%の飼い主が自らの愛犬のにおいを正しく識別することに成功しました。男性の成功率は89.5%、女性の成功率は64.7%と、成功率には性差があり、男性の方が女性よりも識別能力が高いことが示されました。


[image from scientific reports fig1]  青が成功、赤が失敗。男女それぞれの割合を示している。

そのほかに、屋外飼育をしている飼い主は、屋内飼育の飼い主に比べて識別の成功率が高く、飼い主の年齢が若いほど正解率が高まることが示されました。また、ドライフードを主食としている犬(vs生食ベース:BARF)、不妊化手術を受けている犬(vs受けていない犬)、体を洗う回数が少ない犬のほうが正しく識別される確率が高かったこともわかりました。

男性の方が女性よりも嗅覚による個体識別能力が高いという今回の結果は、これまでの多くの研究とは逆(つまり、女性の方が嗅覚能力が優れているのが一般的)の傾向を示したもので、研究者らは驚くに値するものだと述べています。これまでに行われた唯一の愛犬嗅ぎ分け研究では性差はあらわれていませんでしたが、今回の研究に関しては、女性の参加者が男性に比べて多かったことが、成功率の差となったのかもしれないと考察しています。

犬の食べ物の違いで正解率が異なったことについて研究者らは、飼い主が生肉を与えられていない犬のにおいを好む傾向にあることが考えられるとしています。オーストラリアの研究において、女性は肉を大量に摂取する男性よりも、野菜や果物を多く含む食事をしている男性のにおいを心地よく感じる傾向があること、今回の研究の参加者に女性が多かったことから、ドライフードを使っている自分の犬のにおいをより好ましいと感じ、そのためほかの犬のにおいと区別しやすかったのではないかと言っています。

統計的に有意なレベルで飼い主は自分の犬のにおいを嗅ぎ分けられることがわかったことから、これまで考えられていたほど人の嗅覚は悪くなく、ほかの動物に対しても匂いで個体識別ができるだけの嗅覚を持っていることが明らかであると研究者らは結論しています。


[photo by aiko vanhulsenc] 同じ犬種を集めて嗅ぎ分けテストをしてみたらどうなるのだろう?

においを意識して生活してみては?

今回の研究で有意差が見られた犬の食餌内容についてですが、確かに、食べ物を変えると犬の体臭も変わるという話はあちこちで見聞きすることです。ただし、においの好き嫌いに関しては、少なからず欧米諸国と日本とでは傾向が異なります。人種や国民性、地域性、文化などの影響もあると考えられていますので、日本で同じような研究をしたら、また違う結果や考察が出てくる部分ではないかと、個人的に感じました。

今回の研究では解析変数として取り上げられていませんでしたが、人が加齢により体臭が変化するのと同様に、犬も年齢によって体臭が変化することが考えられます。さらに、長年ともに生活を送れば愛犬のにおいは慣れ親しんだものになりますが、逆に「慣れ」が嗅覚を鈍らせるという見方もありますので、そのあたりもにおいによる個体識別能力と何かしらの関連性が見えてくるかもしれないと想像します。

そしてもちろん、犬種によるにおいの違いもあるはずです。たとえば、どのような被毛を持っているか(短毛か長毛か、シングルコートかダブルコートかなど)、どのくらい油分が作られているかなどは犬種による差がありますから、研究対象をひとつの犬種に絞って嗅ぎ分け研究をしてみるのも興味深いのではないかと思いました。

ともあれ、人の嗅覚も捨てたものではないという今回の結果。ちょっと嬉しくないですか?犬の嗅覚の鋭さには遠く及ばないとしても、においを少し意識して生活を送ってみると何か新しい発見ができるかもしれません。そして、犬のにおいの世界によりいっそう興味を抱けるようになるかもしれないですよね。

【参考文献】

The discrimination of dog odours by humans. Perception. 2000;29(1):111-5.

Ability of dog owners to identify their dogs by smell. Scientific reports. 2021 Nov 23;11(1):22784.