犬を「見ろ」と言うけど、何を見ればいいの? DoではなくてBeを考える

文:北條美紀

[Photo by Png Nexus]

犬曰くの記事の中で、「犬を見ていない」とか「犬を見てください」とかいう表現にたびたび出会う。当たり前のことと思って読み流していたのだが、これだけ何度も繰り返して出てくるとなるとそのこと自体に興味がわいてきた。何度も言いたくなるほど大切なのだろうし、繰り返し言っても伝わらないもどかしさのようなものがあるのだろう。

これまで私は、それを「大切なことだよね」と感じ、当然のこととして読み流してきた。しかし、私は、彼らの言う「見てください」と同じような意味で「見ている」のか、そもそも私にとっての「見る」とは何を意味しているのか、そんなことを考えてみた。

「見る」を考えるなどとぶち上げてみたものの、私がわかるのは、私の「見る」についてだけで、他人がどんなふうに「見ているのか」についてはまったくわからない。この「他人のことはまったくわからない」というスタンスは私にとって非常に重要で、わからないから知りたいと思うし、知りたいから必死に「見る」。そして、私の「見る」は、観察するというような客観的で知的な作業ではなく、

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