夫婦喧嘩はラブラドールですら食わぬ

文と写真:藤田りか子

カッレとの口論は今やクライマックスだ。と、それまで足元にいたラブラドール・レトリーバーのアシカがいないことに気がついた。そしてふと後ろを振り向くと…。少し離れたところに彼女はすわっていた。それもとても心配そうな面持ちでこちらをみている。耳は思いっきり後ろに寝かされていた。アシカのことが不憫に思えた。口論を中止した。そう「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」というが、それなら「食い意地が張っているラブラドールですら食わぬ」。犬にも理解しがたい状況である。

アシカはそれでも目の届く範疇にいようとするものの、先代のカーリーコーテッド・レトリーバーのトドなど、派手に口論をやると、玄関のドアを自分で開けて飛び出していったものだ。人が苛立ているのを犬は確実に読み取る。特に家庭内の喧嘩を嫌がるのは群動物ならではの心理だ。いつ自分たちにとばっちりが及ぶかわかったもんじゃない。だから、喧嘩の末私がオイオイと泣いたとしても、決して犬たちは「ママ、どうしたの」なんて涙をぺろりと舐めに側にやって来ることなんかない。以前も辛いことがあって愛犬の側で号泣したが、その時も慰めてくれるどころか、「わ、怖い」と言わんばかりベッドからさっと降りて、自分の寝床に戻られてしまった。ただしこんな愛犬経験を持つのは私だけ(とほほ)?

犬は人の落ち込んだ気持ちに対する癒しの効果がある、というのは最近学説的によく聞くことでもある。が、自分の犬のリアクションを見るにつけて、そこまで美談にしてもいいのだろうか、と疑いを抱いてしまう。それに何と言っても私が落ち込んでいる姿を見ている犬たちの表情がどうも幸せそうじゃないのだ。それともそんなこと御構い無しに、勝手に私が癒されていればよかったのだろうか…? かえって犬の表情など読めない方がいいのかもしれない。いろいろな意味で「犬を人の癒しに」という最近の犬好きが唱えるキャンペーンが私はどうも苦手である。

「私の悲しみ、わかってくれる?」飼い主の声を聞く犬の表情、そんなに幸せそうじゃないけれど…

まず人を癒すには犬自身が気丈な気質をもっていなければならないと思う。犬は人の苦悩やムードを読み取るのが上手だ。尾形聡子さんのブログ「犬は人の感情を嗅ぎとり、その感情に影響されている」でも記されていたように、我々の体から放出される化学信号を彼らは確実に嗅ぎ取っている。それゆえに全ての犬が人の心の重さを受け入れられる器量を持っているかどうか疑問だ。たとえばもし犬自身がトラウマを抱えていたりしてとても不安定な気質の持ち主だったら?その飼い主が精神的に不安定になれば、元から不安定な犬は一層拠り所を失い、よりグラグラな気持ちになるだろう。なので「犬を自分の癒しのために」という動機で容易に犬を飼う風潮は作ってはいけないのだ。

物事そんなに甘くない、という例をもう一つ示そう。

本当に落ち込むと、犬の散歩すら苦痛となる人もいる。私がその一人だった。なんとか気力を振り絞って散歩に出たものの虚無感は癒されず、犬の散歩がおわったらとっととベッドに入って寝込んだものだ。その時は独り者だったので、散歩を代行してくれるパートナーがいればどんなに楽かと思った。そして、まだ散歩に出るならいい方で、気分がすぐれないということで犬のケアを放棄する人だっている。もっとも人それぞれだ。私のとある友人は犬のおかげでうつ病を克服した。散歩のために外に出るのを余儀なくされ、そのうちポジティブに気持ちを切り替えることができたそうだ。

というわけで、癒しのために犬はその治療薬にはなる可能性はあるが、まずはその犬に人をサポートするだけのメンタル面でのキャパが備わっているかどうかを確かめなければならない。保護犬などを飼う人は特にこの点を気をつけなければならないだろう。その次に、どんなに落ち込んでも、犬の世話をする、犬のウェルフェアを保つ、という責任を全うできるか、ということだ。自分の経験からいえば、犬への愛情、動物への倫理観のあるなしがそのキーだと思う。犬が好きだからといって自動的にいつも散歩が好きとは限らない。時には行きたくない時もある。が、犬を飼ったからには行かなければならないのだ。そこに言い訳はない。

セラピードッグとして働く犬。知らない人にいきなり頭から手を出されても平気であるメンタリティが必要だ。

一つ付け加えておくが、人を癒すために働く職業的なセラピードッグの存在には反対はしない。私が住むスウェーデンにもセラピードッグが多く教育されているが、いずれの犬も気質テストに合格した上でセラピードッグとして必要なトレーニングが施されている。つまりただ人好きであるかだけではなく、気質の気丈さを備えているかどうかも吟味されている。それから職業的に働くセラピードッグは施設に訪れる時、ハンドラーとペアとなって働く。だからたとえ「落ち込んでいる人」と接していても、ハンドラーによってメンタル面でかならずサポートを受けている。ある意味、セラピードッグは自分のハートをハンドラー以外の人には売らない。信頼しているのはあくまでもハンドラーだ。

犬に癒されるのはいい。しかし、理性を働かせ犬のウェルフェアをまず確保されたい。感情的に犬を愛するのは本当の愛情とはいえない。

関連記事

犬は人の感情を嗅ぎとり、その感情に影響されている
文:尾形聡子 たとえ表情や所作にあらわさずとも辛く悲しい気持ちでいるときに、愛犬が自分の気分を察知していると感じたことはありませんか...
セラピー犬は仕事中にストレスを感じている?
文:尾形聡子 動物介在介入(Animal Assisted Interventions:AAI)のひとつ、動物介在療法(Animal...