犬はいつからさまざまな姿形になったのか〜そのはじまりは先史時代にまでさかのぼる

文:尾形聡子


[photo by Belogorodov]

犬ほど、同じ種のなかで姿形が異なる動物はほとんどありません。小型犬の中でも小さなチワワやヨークシャ・テリアがいる一方で、マスティフやグレート・デーンなどは80キロを超える個体もいます。細く長い脚で颯爽と駆け抜けることのできるサイトハウンド、穴に潜るのが得意な短い足のダックスフンド。被毛の長さ、毛質、耳の形、尾の巻き方、体長や気質まで、同じ動物とは思えないほど幅があります。

このような違いを「犬種」として分類するようになったのは、人が犬の繁殖を管理する時代になってからのことで、19世紀のイギリスではじまったドッグショー文化とともに犬種という概念が形成され、世界に広がっていきました。スタンダードに近づけるための繁殖が進むにつれ、姿の違いはさらに明確になり、時に極端すぎる特徴までもつくられてきました。

犬の多様な姿は近代以降の人為選択が生み出したものだと思われがちです。しかし先日発表された研究から、そのような見方をあらためる必要が示されました。犬の骨格、特に頭蓋骨を年代の異なる個体から集めて解析すると、犬という動物はもっとずっと早い段階から、すでに多様な姿への分かれ道に立っていた可能性が見えてきたのです。犬の形がいつ、どのように変化を始めたのか。それは、人類史の流れと深く結びついています。

人の生活様式の変化と、犬の姿が分かれていった理由

犬が人とともに暮らし始めたのは、少なくとも15000年前にさかのぼると考えられていますが、その後の姿の変化を語るうえで重要になるのは、人の生活に大きな転換がおとずれた約10000年前という時期です。この頃、中東の肥沃な三日月地帯では、麦や豆などの作物が栽培され、定住する暮らしが始まりました。

農耕の誕生は、人の生活環境を根本から変えました。一定の場所に住み、蓄えをもち、収穫や家畜管理に時間を割く暮らしは、犬にとっても新しい選択圧となりました。家庭の残り物、穀物を中心とした食べ物など、人の定住生活にともなう食資源の変化は、犬の食性や頭蓋の形に影響を与えはじめます。

それと同時に、牧畜の広がりも犬の姿の変化に大きく関わりました。ヤギやヒツジ、ウシなどが飼われるようになると、人は季節ごとに家畜を連れて移動する生活を営むようになり、犬もその旅に同行しました。家畜を守り、群れを誘導し、捕食者から身を守る役割を担う犬たちにとっては、持久力や判断力、警戒心といった行動特性が重要になりました。長い距離を移動し、環境の異なる場所を行き来する暮らしのなかで、犬の体型も役割に合わせて少しずつ変わっていったと考えられます。

犬の多様化を後押ししたもう一つの要因は、地理的な隔たりでした。大陸の山岳地帯、深い森林、砂漠、ツンドラ、島など、自然地形によって隔てられた土地では、犬の集団が小さく分かれて暮らすことになりました。近隣との交流が少ない環境では、限られた遺伝子プールのなかで世代を重ねることになります。寒さが厳しい地域では厚い被毛が有利になり、乾燥地帯では長い四肢が有利になるかもしれません。地形や気候、食べ物、生活圏の違いが、地域ごとに異なる姿を少しずつ作り上げていきました。

人の手による選択も、このような自然の流れに重なります。狩猟に向いた犬、家畜を追う犬、番犬として頼りになる犬など、人々は暮らしに合った犬を残して繁殖させていったことでしょう。厳密な繁殖管理ではありませんが、日々の生活のなかで「役に立つ犬」を選ぶ行為は、ゆるやかな人為選択となり、形や行動の特徴を少しずつ固定していきました。

こうして犬たちは、人とともに世界各地でそれぞれの土地に適応しながら多様さを増していきました。気候や地形、人の文化や暮らしの違いが複雑に絡み合って、犬の形はゆっくりと変わり続けたと考えられます。この長い時間の積み重ねが、現代の犬の姿の土台になっているのです。


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先史時代にすでに芽生えていた「形の多様性」

今回の研究は、この古い時代の多様化がどの程度まで広がっていたのかを、骨という確かな証拠から探ろうとしたものです。フランスのモンペリエ大学の研究者が主導する、40以上もの機関が集結した国際研究チームは、5万年ほど前の古代から現代に至る643体の犬とオオカミの頭蓋骨を計測して3Dモデルを作成し、頭蓋の大きさや形の変化を解析しました。年代の異なる標本を比較することで、いつごろから犬の姿がオオカミから離れ始め、どの時期に多様な形が増えていったのかを明らかにしようとしました。

その結果、犬らしい特徴を示す頭蓋骨が現れはじめたのは、今からおよそ9700年から8700年前ということがわかりました。この頃には、すでにオオカミとは異なる特徴が見られるようになっており、犬という動物の形が独自の方向へ変化しはじめていた可能性が示されたのです。また、頭蓋骨の大きさに幅が出てくるのは7700年前ごろ、形そのもののばらつきが大きくなるのは8200年前以降でした。人の生活が変わり、犬と暮らす環境が広がっていく時期と歩調を合わせるようにして、犬の姿が多様な方向へと分かれていったと考えられます。

研究チームは、古代の犬が示す多様性の幅が、現代の犬種全体の多様性の約半分に相当する可能性を指摘しています。これは驚くべき点です。近代以降の繁殖管理によって多様さが作られたわけではなく、はるか昔からすでに大きな幅が存在していたことを意味するからです。

研究では、古代犬の中には現代では見られない頭蓋骨の形状が存在していたことも報告されました。時間の流れのなかで消えてしまった系統があった可能性を示す一方で、このような消失や分岐もまた、多様性が形成される過程の一つです。世界のどこにいても、人と暮らす犬たちがそれぞれの土地でそれぞれの役割を果たしてきたことを思うと、この多様さは単なる形の違い以上のものに感じられます。そこには、人と犬が積み重ねてきた膨大な時間の厚みがあるのです。


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近代犬種とは何か?についての視点が変わる

先史時代の背景に照らすと、近代の犬種とは何かという問いの見え方が変わってきます。19世紀以降の犬種という制度は、スタンダードを設け、人が望む姿を固定して繁殖を管理する仕組みとして広がりました。その結果、短頭化や長頭化、超大型化や超小型化、特定の毛色や体型の強調など、自然界では生じにくい特徴が固定されていきました。

今回の研究が示すのは、近代の犬たちの持つ特徴は、あくまで先史時代から続く長い多様性の土台の上に成り立つものであるということです。犬種は多様性を生み出したのではなく、もともと存在していた多様性の中から特定の形を取り出し、整え、強調した存在なのだとも考えられます。

世界中のさまざまな土地で、それぞれに異なる犬の姿が存在していたという事実には、ロマンを感じずにいられません。世界中、どのような場所であっても、人のそばにはいつも犬がいて、その土地ごとの暮らしに寄り添ってきました。形の違いは、その年月がつくりあげた人類への贈り物のようにも思えるものです。

【参考文献】

The emergence and diversification of dog morphology. Science, 390(6774):741-744. 2025