犬は飼い主の妊娠がわかる?

文:尾形聡子


[photo by chika_milan]

犬は高い認知能力を備えた社会的な動物。そんな犬と暮らしていると、自分の感情や状況の変化などさまざまなことに気づいている?と感じることが多々あるものです。たとえば悲しみにくれているとき。まるで慰めてくれているようにそばにぴったりくっついてきたり、あるいは舐めてきたり。そんな経験をした方も少なくないと思います。けれどもそれは本当に人の悲しみを理解しているから?それとも??

愛犬が慰めてくれると感じる人がいる一方で、藤田りか子さんが「夫婦喧嘩はラブラドールですら食わぬ」にて書かれているように、そのような経験をしたことのないケースも同様にあると思います。ほかにも、そのような事柄のひとつとして「飼い主の妊娠を犬は察知する」ことが挙げられます。飼い主が妊娠すると犬の行動が変化する、そのようなことが世界的にまことしやかに囁かれていいます。はたして犬は飼い主の妊娠に気づいているのでしょうか。逸話あるいは都市伝説として片付けていいものなのでしょうか。

というのも、犬には人の感情のにおいをキャッチする能力があるからです。揮発性物質(VOC)のにおいの変化を感じ取れるだけでなく、飼い主のわずかな行動の変化や声色の変化も敏感に察知することもできます。さらには、犬は人から感情伝染も受けることがわかっています(ただし、犬に、他者の心を推測し、理解する能力である「心の理論」があるかどうかについては議論の余地が大いにあり、現在では実証されていません。それについては「犬にパースペクティブ・テイキング能力はある?犬に心の理論が備わっているかを知るための新たな研究」を参照ください)。

確かに妊娠という状況は、ホルモンバランスも変化し、感情や行動、生活環境(赤ちゃん用の家具が増えたり配置換えなど)の変化を伴うため、それに犬が気づかないはずはないでしょう。ただしこれまでの飼い主の妊娠に関する犬の行動変化については個人個人の体験談ベースでの話にすぎず、科学的に調査した研究は行われていませんでした。そこで北アイルランドとカナダの生物学者と心理学者の研究チームは、それについて客観性を持たせたデータを収集し、科学的に検証してみることにしました。

3頭に2頭が行動を変化させていた!

研究者らはSNSを通じて、現在妊娠中で犬と暮らしている、あるいは、過去妊娠中に犬を飼っていたという女性に対し、オンラインアンケートへの参加を広く募集しました。

オンラインアンケートは飼い主の人口統計学的情報、妊娠時の状況についての質問、妊娠時に飼っていた(現在飼っている)犬についての質問、犬との関係性を評価する質問票(MODRS:Monash Dog Owner Relationship Scale)、妊娠前の犬の行動について、妊娠中の犬の行動の変化についての質問が含まれていました。

集まった回答の130名分のデータを解析した結果、以下のことがわかりました。

  • 65.4%の飼い主が、妊娠中に犬の行動に変化があったと報告
  • 26.9%の飼い主が、自分の妊娠に気づく前に犬の行動に変化があったと報告
  • 飼い主からの注目を求める行動(attention-seeking)が著しく増加(67.1%の飼い主が報告)
  • 見知らぬ人への警戒行動が増加(47.1%の飼い主が報告)

これらは、飼い主が「妊娠中に犬がより愛情深く、保護的に接してくれる」というような世の中で広く言われている内容と一致していることを示しています。それにしても、自分自身で妊娠に気づく前に犬に行動の変化があったと報告した人が4人に1人いたというのには驚きです。それほど早期に気づくということは、飼い主の妊娠に伴う行動の変化ではなく、ホルモン分泌の変化による体臭の変化が大きいのかもしれません。

また、妊娠前から見知らぬ人への警戒行動が強めの犬は、飼い主の妊娠中に行動の変化を起こしやすかったのに対して、他の犬に対する恐怖や不安行動が強かった犬は、飼い主の妊娠に伴う行動変化があまりみられない傾向にありました。このことは、もともと高い不安レベルにある犬は、飼い主の妊娠による影響を受けにくい(感受性が低い)可能性があることを示唆しています。

研究者らは、多くの飼い主が妊娠期間中に犬の行動が変化したと感じていることを初めて明らかにした研究で、犬と飼い主の関係性を探る上で新たな知見となると結論していました。


[photo by Cavan for Adobe]

飼い主の願望の影響も?

ただし今回の研究は、飼い主自身が妊娠中に「愛犬にこうあってほしい」という願望が影響したり、その影響を受けて過去の記憶が多少変化している可能性は否定できません。母親が妊娠中に、すでに生まれている子どもにおいても同じように行動変化が見られるのかという点についても「変化する」という話が散見されます。しかし意外なことに、それについても科学的な研究はほとんど行われていないようです。

そもそも、幼い子ども犬においては「妊娠」の概念をしっかりと理解できるとは考えにくいため、飼い主あるいは母親の妊娠中に見られる子どもや犬の行動の変化が、すなわち「妊娠を察知した」と解釈できるかどうかについても疑問は残ります。特に犬においては、犬としての妊娠と飼い主(人)の妊娠を同じ「妊娠」であると認識できるかどうかという、もう1段進んだ認知能力が必要とされます。ただし、飼い主の妊娠に伴う生物的な変化はにおいで捉えることはできそうなので、その点では人の子どもより得られる情報がひとつ多いとも考えられます。

ともあれ、幼い子どもや犬はその時点で感じられる母親からの変化の信号をそれぞれにキャッチし、それに対応して何らかの変化を見せることがあるでしょう。その変化に対する理解は母親あるいは飼い主自身の主観的なものでありながらも、別段子どもや犬に大きな悪影響を及ぼすものでもありません(研究があまり行われていないのもそのためかもしれないですね)。むしろ、妊娠するという大きなライフイベントにおいては、周囲の変化を少しでもプラスの方向に、無意識的に積極的に意味づけをしようとすることのほうが大切なのかもしれないです。

人は未来の予測や意味づけをしがちだけれど

飼い主は愛犬に対してもつい人に対するのと同様に、「共感してくれている」「私のことを理解してくれている」と感じてしまいがちで、たとえば妊娠中に調子が悪くて静かにしているとき、犬が優しく接しきたら、

「生まれてくる赤ちゃんを守ってくれているのね」

などと思ったりしてしまうものです。しかし、犬にとって飼い主から赤ちゃんが生まれてくるという「妊娠」の概念がないのであれば、

「今日は飼い主さんが元気ないから、少しそばで静かにしていよう」

とその場の状況から判断して飼い主に寄り添って横になることを選択している可能性が高いのではないでしょうか。

人は目の前にある事象を文脈で理解する傾向にあり、その点で犬と思考回路が異なることは以下の研究からも示されています。

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文脈化したり意味づけをしたりすることは決して悪いことではなく、そのような能力があるからこそより一層繋がりを深めたり共感を呼んだり、新しい何かをつくり出したりすることができるのだと思います。けれどもそのような人目線での心の中でつくられる物語に犬を巻き込むことには注意が必要です。

それより犬はもっともっとシンプルに人と接しようとしていると思います。ややもすれば社会生活にもまれ、経験に埋れて人が見失ってしまいがちなところなのではないでしょうか。そこに気づかせてくれるからこそ、犬との生活は人生を豊かなものにしてくれるのだと思っています。

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【参考文献】

Dog Owners’ Perceptions of Their Pet Dogs’ Behavior When Owners Became Pregnant. Anthrozoös. 21 May 2025

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