犬も家族の一員、だからこそ名前を呼び間違えてしまう

文:尾形聡子


[photo by BTK]

西洋諸国をはじめ日本において犬が家族と認識されるようになったのは、人と犬の長い長い共生の歴史からすればつい最近のことです。日本でも、20世紀の昭和時代と21世紀に入ってからとではだいぶ変化しているのを感じられるのではないかと思います。しかしそれが全世界的においての共通認識かといえば決してそうではなさそうです。

たとえば紀元前の古代エジプトでは犬は神聖な存在と考えられていて、犬の死を悼み、ミイラとして大切に埋葬されたり王族のお墓の壁画に刻まれたりしていました。地球上でもっとも早い時期に犬を大切にしたお国柄だったといってもいいでしょう。しかしながら現在のエジプトではどうやらその限りではないようです(こちらのナショナルジオグラフィックの記事を参考に「エジプトの野良犬たちの受難、古代では崇拝の対象、今や毒殺も」)。

このように、時代や文化、宗教などのさまざまな要因が影響し、人間による犬の捉え方は国や地域によって異なります。文化圏によって犬の感情の捉え方も異なることを示した研究もあり、藤田りか子さんが「日本人は犬の「辛い表情」を理解できない?」にて紹介しています。

そもそも「家族」としての捉え方も人それぞれ違いますし、犬を飼っていても「犬は家族の一員」として考えなければいけないわけでもありません。犬が怖い、犬が嫌いという人も一定数いるのが当たり前な世の中です。このように世界各国さまざまではあるものの、一般的な犬好き家庭に“あるある”な「名前の呼び間違い」を科学的に調査したアメリカのデューク大学の心理学・神経科学部による研究を紹介したいと思います。

2016年と少し前の研究になりますが、その研究結果を見れば、「またしても子どもの名前と犬の名前を呼び間違えてしまった!」と頭を抱えずとも、老化現象なのだろうかと心配しすぎなくてもいいんだと思えることでしょう。逆に、何度も人間の家族から犬の名前で呼ばれた経験があるという方も「犬も家族の一員だからね」と、寛大な気持ちで応じられるようになると思います。


[photo by Africa Studio] 親が子どもと犬の名前の呼び間違いをするのは、世界的によくみられる。

名前の呼び間違いは、脳内での「グループ」が同じだから

研究者らは、誤って名前を呼んでしまった人、誤って呼ばれたことのある人、間違われた名前の人(あるいは犬や猫などのペット)の状況を調べることで、名前の呼び間違いは広く起きている現象であること、それが起こりやすいパラメーターを探ること、間違えてしまうことに影響を及ぼす可能性のある意味的カテゴリー(家族、友人など)と音声的類似性(名前の音が似ている)についての検証を目的としました。

検証のため、名前の呼び間違い/呼ばれ間違いのエピソードについて、約1,500名の学部生とAmazon Mechanical Turk(Amazonが提供するクラウドソーシングサービス)の利用者である成人約200名に対し、5回にわたってオンラインアンケート調査を行いました。

集まったデータを解析したところ、研究者らは名前の呼び間違いには特定のパターンがあることを発見しました。呼び間違いをする当人にとって、同じ社会的グループに属する人の中で間違うことが多く、グループの垣根を越えてランダムに呼び間違えるわけではない、ということです。たとえば、友人であれば友人のグループ内にいる別の人の名前だったり、家族のグループ内にいる兄弟姉妹などといった具合です。

これはいわゆる認知ミス(誤認識)によるヒューマンエラーと呼ばれる類のことになるのですが、間違いパターンの解析からわかったのは、間違えた当人が、間違えた相手がどのグループに属していると認識しているかを明らかにするものでもあり、逆に、間違えた相手との関係性を当人がどのようにとらえているのかをあらわすものでもあると言えます。

犬の名前は「家族のグループ」内で頻繁に呼び間違えられていた

家族の名前を別の家族と呼び間違えるときには娘を息子の名前で呼んでしまうなど性別は関係なく、さらには犬の名前で呼びかけてしまうことが多くみられました。ただしこれは犬に限ったことで、猫やそのほかの種類のペットにおいてはほとんど呼び間違いは起きていなかったそうです。

犬の名前も含めた家族内での名前の呼び間違いが頻繁だったことに、筆頭著者である研究者は驚いたそうです。このことについて研究者は、人とほかの種類のペットと比べて人と犬の間には特別な関係性が存在していて、それを裏付ける証拠が一つ増えたと考察しています。なぜそうなるかについては、犬は猫よりも自分の名前を呼ばれたときに反応を返すため、日常生活の中で人は犬の名前を頻繁に使うことで家族の名前と概念的に同じグループになりやすくなるのではないかとい述べていました。

身体的類似性は関係なし、音声的類似性による間違いは見られた

ただし名前の音が似ている場合には、呼び間違いが多少起こりやすいことが示されました。英語なのでちょっとわかりにくいかもしれませんが、たとえば、最初の音が同じマイケルとミッチェル(Michael、Mitchell )、最後の音が同じジョーイとマイキー(Joey、Mikey)、母音が同じジョンとボブ(John、Bob)などのような名前です。

一方、親は子どもの性別や見た目が似ていなくとも名前をよく間違えて呼んでおり、さらには、まったく姿かたちの違う犬も、子どもの名前と混同して間違えが頻繁に起きていました。つまり、名前の呼び間違いには身体的類似性はほとんど関係していないことが示唆されます。また、学部生の間でも「友だち」グループの中での名前の呼び間違いはよくあることであったため、名前の呼び間違えは老化に直結しているわけではなく、認知ミスが影響していると研究者らは考察しています。


[photo by anoushkatoronto]

名前の呼び間違いは仕方ない脳内現象でもあるけれど

このように、名前の呼び間違えは必ずしも老化現象ではなく、相手の性別でもなく、見た目でもなく、さらには生物種でもなく(犬の場合)、自身の脳内でどのような関係性が構築されどのグループに対象となる相手が入っているか、という点がポイントとなってくるようです。よく名前を呼び間違える方は、自分がどんな間違えをしているかを思い出してみるとよりいっそう腑に落ちるかもしれません。

たとえ愛犬の名前と家族の名前を呼び間違えることがあっても、あるいは自分が呼び間違えられることがあっても、微笑ましいエピソードだと感じられるのではないでしょうか。なぜならそれは、脳が愛犬のことを家族の一員と認識している証と考えられるのですから。

しかしながら、時と場合によっては呼び間違えられることを嫌だと感じることもあるでしょうし、呼び間違えてしまったことに大いに焦ることもあると思います。仕事上で重要な相手の名前を間違えてしまう、現在のパートナーに元パートナーの名前で呼びかけてしまうなど、冷や汗ものの場面です。間違えてはならない時に限って間違えてしまうというのも“あるある”ですよね。

そのような時にはすかさず、間違えてしまった本人は相手に謝り、正しい名前がわかるのであればすぐにその名前で呼ぶことが大切かもしれません。逆に間違えられた方の人は、相手に自分の正しい名前を優しく訂正して伝えられるといいですよね。

友人や親しい同僚の間で自分の名前を間違われたり、忘れられたりするとどう感じるかということを調べたベルギー、リエージュ大学の最近の研究では、相手に間違われることについて比較的否定的な感情は少なかったものの、悲しいというよりもイライラしたり気分を害するという回答が多かったそうです。そして、名前を呼び間違えられたときの苛立ちの強さは、自身が呼び間違えが少ないほど高くなることが示されています。逆を言えば、呼び間違えしやすい人ほど苛立ちが少ないということになるのですが(周囲の人々を見て納得しませんか?)、ならば、呼び間違えをしやすい人ほど間違えたときの対処の仕方が重要なのかもしれないなと思った次第です。ともあれ、呼び間違えないで会話できるのが一番なのは言うまでもありませんけれど。

【参考文献】

All my children: The roles of semantic category and phonetic similarity in the misnaming of familiar individuals. Memory & Cognition. 44(7):989-99. 2016

【関連記事】

日本人は犬の「辛い表情」を理解できない?
文:藤田りか子先進国にしては弱いアニマル・ウェルフェア意識日本のアニマル・ウェルフェアが先進国にしては遅れをとっている、というのは多くの人の知るところだ。…【続きを読む】
愛犬はあなたの家族を声で識別できますか?
文:尾形聡子親子や兄弟姉妹で同性であれば声が似ているものです。今や一人一台スマホの時代になりましたが、「そういえば昔は電話口でよく姉と間違えられたな」とか…【続きを読む】