文:藤田りか子
[photo by Rikako Fujita]
先進国にしては弱いアニマル・ウェルフェア意識
日本のアニマル・ウェルフェアが先進国にしては遅れをとっている、というのは多くの人の知るところだ。だがどれだけ遅れているのか、日本に住んでいる限り実感はあまり得られないと思う。犬猫を捨てるな!と運動する人はたしかにウェルフェアの意識の強い人の部類に属するのかもしれない。そして犬猫を捨てるのは、間違いなくウェルフェア意識を持たない人の行為である。だが日本のウェルフェア意識の鈍さは、ペットを捨てるという最悪のシナリオ以外にも、日常のありとあらゆるシーンの中に見出される。
犬に関すれば、長い留守番、短い散歩(あるいはほぼ散歩のない生活)、室内におけるケージ/サークル飼い、外での繋ぎ飼い、犬のメンタルに気遣うよりもモノを買い与えるという消費に走る行動、… etc.挙げていけばきりがない。残念ながらこの状態に対して無頓着な人は意外に多い(犬曰くの読者のみなさんはこれらの事情に敏感である派と思うしそう願う)。時として「犬猫を捨てるな!/殺処分ゼロ!」運動をしている人ですら、日常のウェルフェア欠如に気がついてないこともある。そして今思えば、筆者も日本に住んでいる頃はそれがよくわからなかった。
その敏感性は文化によるもの?
さて、このアニマル・ウェルフェアへの「敏感性」というのはもしかして文化に基づくものなのじゃないのか、と最近考え始めていた。
今となっては