文と写真:藤田りか子

スウェーデン中部、ヴェルムランドに住むインゲル・クリングさんの日常は、ボーダーコリーのスムーランの登場によって180 度変わった。
「これまでは、友人に『どこかへ行こう』と誘われても、いつ自分の血糖値が落ちて倒れてしまうのではないかと怖くて行けませんでした。でも今は平気です。スムーランが、血糖値が大きく下がる前にきちんと教えてくれるからです」
インゲルさんはⅠ型糖尿病の患者だ。Ⅰ型では体内でインスリンがほとんど作られなくなるため、血糖値の管理が難しく、低血糖に陥る危険がある。重度の低血糖では昏睡状態に陥り、生命に関わる。
血糖値が落ち始めると、たいていは頭痛を感じたり、気分がイライラし始めたりする。そうなるとインゲルさんはパンや菓子を口にして、血糖値の低下を未然に防ぐ。だが、必ずしも初期症状を毎回感じられるわけではなく、それが彼女にとって一番恐ろしいことなのだそうだ。そのため行きたいところにも行けず、家の中に閉じこもりがちな生活が20年間続いていた。
「スムーランは、私に自由を与えてくれました!」
どの犬でも持っている血糖値変動探知能力?
インゲルさんがスムーランの能力に気づき始めたのは、今から2年前。スムーランが彼女のもとに来てから1年ほどたった頃のことだった。ある夜、寝ているところをスムーランに起こされた。様子がそわそわして落ち着かない。きっとお腹の調子でも悪いのだろう、とインゲルさんは彼女を庭に出してやることにした。ところがその直後、インゲルさんは急激な血糖低下に襲われた。
「体の調子が悪かったのは、スムーランではなく、私だったんですね」
糖尿病患者を助ける犬がいることは知っていた。もしかすると、自分の愛犬にもそんな能力があるのではないか。そう思ったインゲルさんは、それ以来スムーランの行動をつぶさに観察するようになったのだ。
「頭痛を感じ始めたとき、同時にスムーランの様子を見てみたんです。すると、行動がいつもと違う。じっと私を凝視している。それを見て、ああ、そうだ、スムーランの前に飼っていたボーダーコリーも、同じような行動を時々とっていたかもしれない、と思い当たったんです」
多くの犬は糖尿病患者の血糖値の異常変化を察知する能力を持っている、とインゲルさんは考えている。ただしたいていの場合、犬が異常に気づいていることに、飼い主の側が気がついてないだけだという。
「スムーランの能力に確信を持った私は、早速彼女を介助犬にしようと決意しました。血糖値の低下を、もっとはっきりした形で知らせてくれる犬になるように訓練を始めたのです。それに、介助犬の資格を犬が持っていると、お店等に自由に連れてゆくことができますから私にとっては安心です」
訓練から1年後、スムーランは99%の正確さでインゲルさんの血糖値変動を知らせてくれるようになった。兆候を察知すると、スムーランは台所の引き出しにある小さな袋を取りに行き、それを彼女のもとへ運んでくる。袋を受け取ると、インゲルさんは血糖値を測定し、その低下を確かめる。もしスムーランの告知が正しければ、袋からご褒美を取り出して与える。
「いっしょに訓練をすればするほど、私とスムーランの絆が深まっていくのが分かりました。すると、ますます彼女は私のことをじっと観察するようになったんです」
血糖値が下がるのは、特に真夜中が多いのだそうだ。スムーランは毎晩インゲルさんのベッドの横につきっきりで、彼女の状態を絶えず見守っている。
「まるでお母さんが付き添ってくれているようです」
とインゲルさん。
人を観察する能力に優れているから
犬は、血糖値の低下に伴って体内に放出される化学物質を嗅ぎ取っているのではないかと考えられている。「血糖値変動を知らせる犬」は比較的新しいタイプの介助犬で、欧米では専門の育成団体も現れているが、一般にはまだ広く知られているとは言い難い。
これとよく似た介助犬に「てんかんアラート犬」がいる。こちらは、てんかん発作の前に現れる微妙な身体の変化や動作を犬が察知し、飼い主に知らせてくれる。今後、このようなタイプの介助犬がさらに訓練され、数が増えていくのかという質問に対し、インゲルさんはこう答えた。
「飼い主、つまりユーザー次第です。低血糖アラート犬は、飼い主との強い絆があってこそできあがる犬です。スムーランを見れば分かりますが、彼女は他人の動向には一切無関心なのです。ですから、他人が訓練してユーザーに引き渡す盲導犬とは、少しタイプの違う介助犬だと言えるでしょう」
大好きな飼い主を観察するという、犬ならではの能力を最大限に生かした役割。それが低血糖アラート犬であり、またてんかんアラート犬なのかもしれない。ユーザー自身が作り上げていく介助犬。犬の能力は、嗅覚や聴覚だけにとどまらない。その可能性は、まだまだ広がっていく。


