犬の生活環境が人とのアイコンタクトに与える影響は?

文:尾形聡子


[phhoto by Steve Baker]

犬が人に対してとるアイコンタクトや注視(gaze)は、お互いのコミュニケーションを開始したり促進したり、絆を深めていく上でもとても重要な役割を持つ社会的認知行動であることが知られています。

このような犬のコミュニケーション能力は進化の過程で獲得したものと考えられており、行動によって遺伝しやすいものとそうでもないもの(環境からの影響をより受けやすいもの)があることがこれまでの研究で示されています。たとえば、2021年に発表された8週齢の子犬を対象とした研究では、人の顔に目を向けるアイコンタクトの遺伝率は43%と推定されています。一方で「解決不可能なタスク」と呼ばれる、目の前にある問題を解決するために人を見て助けを求めるかどうかということについての遺伝率は低く、8%となっていました(詳しくは以下ブログを参照)。

犬の認知能力、遺伝する?
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ですが、この「解決不可能なタスク」を課されたとき、人に助けを求めて注視行動をとるかどうかは犬種差がある、すなわち遺伝的な差があることも示されています。そもそも解決不可能なタスクを人に育てられたオオカミやディンゴに与えると、自分でなんとか解決しようとして滅多に人の方を見て助けを求めず、できなければ諦める傾向にあることが知られています。

2019年に発表された犬種差を調べた研究では、遺伝的にオオカミに近いチェコスロバキアン・ウルフドッグ、ジャーマン・シェパードとラブラドール・レトリーバーの3犬種に対して解決不可能なタスクを与えたところ、それぞれの犬種がとる注視行動には明らかに違いが見られました。この差は、どのような作業をするために選択繁殖されてきたかによる遺伝的な相違によって生じ、それが人に助けを求める注視という行動に少なからず影響していると考えられています(詳しくは以下ブログを参照)。

人へのアイコンタクトの違いは個体差?それとも犬種差?
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とは言え、このような人とのコミュニケーション能力の発達は決して遺伝がすべてではなく、経験や年齢、人との関係性などの影響も受けて個体の行動としてあらわれてきます。犬の認知能力が2歳になるまでにどのように発達するかを追った研究によれば、指差しに対する反応や、解決不可能なタスクを与えられたときに人に助けを求める注視行動などのコミュニケーション能力は、子犬の時期よりも2歳時に向上していました。また、年齢が若く、遊び好きな犬の方が知らない人に対してよりアイコンタクトを取りやすいという結果が示された研究もあります。

このように、アイコンタクトや注視のような人とコミュニケーションをはかる上で欠かせない社会的な行動は子犬期からみられ、遺伝と環境の両方が影響して形成される特徴であることはこれまでの研究からも確実です。そこで、ブラジルのサンパウロ大学の研究者らは、環境要因のなかでも犬が人と接する日頃の頻度に着目し、犬の注視行動にどのように影響を及ぼすかを明らかにしようとしました。


[photo by Waldo Jaquith]

一番アイコンタクトをとったのは、やはり…?

研究者らは犬が日常的に人のそばで過ごす時間の長さによって、注視行動の使用頻度や使用するまでの時間、注視時間の長さ、目的物(ここでは解決不可能なタスクに使用する物品)と人とを交互に見る頻度に違いがあると仮定し、室内で暮らす犬、室外で暮らす犬、シェルターで暮らす保護犬それぞれに「解決不可能なタスク」を与え、比較解析を行いました。

実験には、1歳から9歳までの少なくとも1年以上現在の飼い主と一緒に暮らす室内犬23頭、室外犬20頭、6ヶ月以上シェルターに暮らす17頭の、さまざまな犬種と雑種犬合計60頭(オスメス30頭ずつ)が参加しました。

解決不能なタスクのテストは、家庭犬はサンパウロ大学にて、シェルター犬はシェルターにて、同じようなテスト環境を作って行われました。犬たちは解決可能なタスク(おやつの入った容器をひっくり返して食べることができる)をこなしてから、解決不能なタスク(おやつの入った容器は動かすことができず、おやつを手に入れることができない)が行われました。そして、その近くには実験者と飼い主もしくはシェルターで働く人が立ち、犬がどのように視線を向けるか、向けるまでの時間や長さが計測されました。

その結果、3グループの犬たちの間で、人(実験者、飼い主もしくはシェルターで働く人)へ視線を向けた割合には差がみられました。1回以上人へ視線を向けた犬の割合は、室内犬で95.7%、室外犬では80%、そしてシェルター犬は58.8%となりました。

容器と飼い主またはシェルターで働く人へ視線を交互に向ける回数をみると、多い方から室内犬>室外犬>シェルター犬となっていましたが、各グループ間に統計的な有意差はなく、室内犬と室外犬をまとめて家庭犬とした場合には、家庭犬とシェルター犬との間に有意差がでてきました。一方で、容器と実験者へ視線を交互に向ける回数は3グループでそれほど差はなかったものの、やはりここでも室内犬が一番多く行っていたことがわかりました。また、視線を人(実験者、飼い主もしくはシェルターで働く人)へ向けるまでの時間にはグループ間の違いはなく、向けている時間に関しては長い方から室内犬>室外犬>シェルター犬という結果になりました。

容器に触れている時間、すなわち問題を解決しようとする持続時間に関しては、シェルター犬が大幅に短く、室内犬・室外犬には差がみられませんでした。

これらの結果から、家庭犬(室内・屋外)はシェルター犬よりも人を注視する回数や人と容器とに視線を移す回数が多かったものの、最初に注視するまでの時間にはグループ間での差がないことがわかりました。つまり、おやつを食べたいという犬が望む目的を達成するための戦略としての注視や視線交代などのコミュニケーション行動をとる傾向は、日常生活で人と近い環境で過ごす時間の長さに強く影響を受けている、ということが言えます。

ただし、どのグループの犬も人に注視するまでの最初にかかった時間は同じであり、割合は一番低かったもののシェルター犬も約6割の犬が人へ視線を向けていたことから、シェルター犬は決して人とコミュニケーションできないのではなく、人との接触が少ない暮らしを送っていてもコミュニケーションできると考えるべきだと研究者は言います。むしろ、人との交流が限られているシェルターという場所で生活していくために、よく適応していると考えることもできるとも言っていました。


[photo by Amanda Wray] 犬が見上げてくるときの顔つきというものは、なんともかわいいもの。

関係の構築には円滑なコミュニケーションが必須では?

犬の行動のあらわれかたは、もともと個体に備わっている遺伝的な面に影響を受け、そこには犬種のバイアスもかかってきます。しかし、当然のことながら、人との暮らし方による環境にも大きく影響を受けていることが今回の研究結果からも示されました。

ただし、遺伝子的には犬であっても、野犬のようにまったく人の社会を知らずに生きてきた場合には留意する必要があると思います。今回の研究対象となったシェルター犬はすべて雑種犬でしたが、この犬たちが野犬なのか、それとも野良犬なのかによって個体がとる行動は違ってくるのではないかと思うからです。それら違いについては藤田りか子さんの「野犬出身の保護犬を考える」をぜひご一読ください。今回の研究ではシェルターの犬がどのような経緯をたどっている犬であるかには触れられていなかったのでわかりませんが、サンパウロという大都市の郊外にあるシェルターゆえに、ある程度人に慣れた犬なのではないかと想像します。

野犬出身の保護犬を考える
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シェルター犬の出自にまで考えを及ばすと止めどなくなりそうなので、それについてはまたの機会に考察したいと思いますが、今回の研究から言える大事なことは、どのような環境で暮らしていても、少なくとも半数以上が、室内犬においてはほぼ100%の確率で「困った時に人に助けを求める合図を出していた」ということです。

日本の都市部ではめっきり外飼いが減りましたが、室内だからといって毎日留守番ばかりでは人との交流がある状態で生活しているとも言い切っていいのかどうかわかりません。むしろ外でも、しっかり毎日飼い主と交流できている犬は、部屋の中で長時間の留守番を強いられる犬よりも幸福度は高い可能性も考えられます。なにより大切なのは毎日の暮らし方、犬との接し方ではないでしょうか。ほんのささやかな幸せでも「ちりも積もれば」に必ずやなるはずです。犬も人もお互いが幸せに暮らすには、やはり円滑なコミュニケーションが重要で、犬が持つその特性を活かす暮らしができるようにすることの大切さを、あらためて感じていただけるといいなと思っています。

【参考文献】

Effect of different experiences with humans in dogs’ visual communication. Behavioural Processes. Volume 192, 2021

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