ブリーディングに携わるという「持続的幸福」

文と写真:藤田りか子

アシカの子犬をとりたく、この度初めてブリーディングというものを経験した。苦労は絶えなかったが、心はなぜか不思議な充実感に満たされていた。この感情はなんぞや、と考えていた折に先週公開した北條美紀さんの記事「犬を飼うと幸せになれるのか?」を読んで、「これだ!」と自分の幸せ感について再認識をした。その幸せ感とは一時的な「快」だけで成り立っているのではなく、持続的に気持ちが満たされている状態だ。そう、私が経験したこの不思議な感情はまさに「持続続的幸福」と呼ぶものなのかもしれない。

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心配・苦労がたくさんあれど

何もかも初めてなので、ブリーディングは最初から最後まで不安がつきなかった。心配はすでに交配の時点から始まっていた。

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「果たしてアシカがオスのダスティを受け入れてくれるだろうか?いや、ダスティはアシカとちゃんと交尾をしてくれるのだろうか?」

それがクリアしたところで今度は

「ちゃんと受精するのだろうか」

さらには

「妊娠しているのかどうか。まさか単に肥満だったり想像妊娠じゃないでしょうね」

妊娠が分かったところで次の心配は

「アシカの食欲がない!胎児に影響するのではないか」

そして

「ちゃんと分娩してくれるのか」

「生まれたばかりのこんなネズミみたいな小さな生き物をきちんと全部育てきれるのか」

「部屋の温度は子犬に低すぎないか」

「なぜアシカは乳を与えながらハァハァ息を荒くするのか」

「ちゃんと全員お乳を飲んでいるのか」

子犬がある程度成長すると心配はそれほど増えなくなったものの、今度は肉体労働でヘトヘトになる日々が続いた。彼らのウンチとオシッコの掃除とパピーボックスのシーツの取り替え、そして洗濯。なにしろ9頭も子犬がいるのだ。あっという間に部屋は汚くなる。掃除が終わればそうこうしているうちにメシの時間となる。メシが終われば今度は成犬たちの散歩の時間。そしてまた掃除と洗濯、子犬のメシの用意…。そうそう、執筆の仕事もこなさなければならない。次から次へとやることが…あわわわわ!毎日溺れているかのようだった。

だが「しんどい」とか「私頑張ってます!」などという悲壮な気持ちを持つことは一度もなかった。そしてブリーディングなんてもう金輪際!と嫌気が差すこともなかった。歳も歳なので身体的には少々応えたが、心の中はまさにスウェーデンの夏のよう、爽やかな風がそよいでいた。子犬の可愛らしい顔をみているから「癒されるためだろう」と思うかもしれないが、いや、癒される、というのとはちょっと違う。そもそも犬で癒されたいという願望はない。

子犬が日々成長していくのを見るのは、とても興味深かった。そして元気を与えられたのだ。生まれた時は目が閉じており、四肢も立っておらずカニのようにモゾモゾと這いつくばうばかりの乳飲児が、3週目には次第に動き出しそして5週目までには皆走り回る。9頭の子犬たちは、遊ぶためにありとあらゆることを試みる。兄弟同士のとっくみあいばかりじゃない。靴の紐をひっぱる、庭の一角の土を掘り起こす、塀をかじるなどなど彼らの遊びはとても独創性に富んでいる。まさに子犬時代を謳歌していた。クリッカーを使えば、5〜6週目にしてすでに簡単な行動を教えることすらできた。脳がどんどん成長している!「生き物」の驚異である。

苦労と労力は絶えないが、ブリーディングはむしろ「面白かった!」と言い切れる。前出の記事で北條さんが引用していたポジティブ心理学の父マーティン・セリグマンの提唱する「PERMA(ウェルビーイングを構成する5つの要素)」のうちE(エンゲージメント)とM(意義)をブリーディング作業に見出しているからなのかもしれない。

パピーボックスにて。アシカと子犬たち

持続的幸福を持てる人が犬の飼い主に相応しい

ブリーディングとは言わないまでも、犬を飼うことにもセリグマンの幸せの5つの要素のいくつかを見出せないと、やはり犬をと暮らすのは苦痛にしかならないと思う。たとえば散歩だ。

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